放送から出版は逆行だったのか、小寺信良的10年



個人的記録の10年

 「10年前の記憶」というのはほとんどの人が問題なく持っているであろうということは十分に推測されるわけだが、「10年前の記録」となると、あまり持っている人はいないのではないだろうか。

 筆者が10年を語るというからには、AV機器の10年ということを期待されていると思う。だが10年前の筆者は今のようなモノカキの人ではなく、ガチで放送の中の人だったので、まあ有り体に言えばコンシューマ機の10年前のことなどなーんも知らん。AV Watchが開設し、Electric Zooma!の連載が始まるのがそれから5年後、2001年のことだからである。

 ただ個人的に買ったものと言えばその年、つまり1996年に、初めてビデオカメラを購入した。ソニーの「DCR-PC7」という機種で、縦型コンパクトモデルながら当時24万円もした。

 今ならビックリの価格だが、DVカメラは前年の95年に初号機である「DCR-VX1000」が発売されたばかりの、最新鋭デジタル機器だった。それ以前はHi-8の時代だから、アナログである。

 というわけで「10年前の記録」というのは、3歳になったかわいい盛りの長女のものがシッカリ存在する。これが今となっては憎たらしい口をきくだけでオレの話などまったく聞かぬようになるとは、当時想像だにしなかったことである。

 いやまあそんな個人的なことは置いといて、親となってカメラを持ったからには、もはや自分が記録される側ではなく、記録する側になるという劇的なパラダイムシフトが行なわれたわけだ。

 今でこそエラそうにビデオカメラのレビューを書いたりしているが、そもそも筆者はプロのビデオカメラマンとして仕事をしたことは一度もない。プロだったのはビデオ編集者のほうで、撮ってきたものからいかに番組を作っていくか、のプロだったのである。

 しかし撮れた映像にケチを付けさせたら、編集マンはカメラマンよりもシビアだ。なにせちょっとしたアラを見つけて候補を落としていかなければ、いつまで経っても規定の時間に番組が収まらないのである。

 自分で撮影しながら、このカットをオレは編集マンとして使うか? と自問自答をしていくうちに、次第に動画の撮り方を覚えていった。記憶の中の「いいカット」と目の前の現実を二重写しのようにダブらせながら、どうすれば一致するかを考えた。行き詰まったら、仲のいいカメラマンに撮り方を教わりに行った。

 アングル、構図の作り方などは、カメラ内の小さなファインダなりモニタなりを覗いているだけだったら、未だに覚えられなかっただろう。それはやはり良いも悪いも含めて、圧倒的な量の映像をマスタモニタで見ていた、編集マンとしての資産があったからだろうと思う。

 「動画を撮ること」は、この10年で覚えたことの一つである。


PC映像史の10年

 96年という年は映像史的に見れば、やがて到来するデジタル時代の幕開けであった。日本初のデジタル放送が始まったのもこの年だ。前年に打ち上げられた通信衛星JCSAT-3号を使った「PerfecTV!」がそれだ。DVDのタイトルが発売されたのも、この年である。

 これまで放送一辺倒だった映像業界も、これを受けて徐々に仕事が多様化していった。それまでは一部のポストプロダクションが副業でレンタルビデオ用に行なっていた、映画の字幕入れや日本語吹き替え、フォーマッティングといった作業が、新規参入の専門会社との間で仕事の取り合いになっていった。ポストプロダクションの技術者も、CS局やCATVのショッピングチャンネルといった「局」の側に転職する者も多かった。

 だが個人的な感想としては、このあたりをきっかけにして、Windows PCを使った映像編集やCG制作のような、画像処理が本格化していったという思いが強い。筆者もスタジオに出向いて仕事をするフリーランスのビデオ編集マンから、徐々に自宅でビデオ編集や3DCGを制作する映像作家へと転向していった。

 今にして思えば、もう少しadaptecが積極的にIEEE1394の普及に努めたならば、DVカメラとPCを使ったジャーナリズムは、もっと急激に立ち上がったことだろう。当時彼らとしてはSCSIの延命に腐心するあまり、IEEE1394への対応は生かさず殺さずの状況に置いていたかったのである。

 一方3DCG制作では、OpenGL搭載グラフィックスカードの普及に伴って、Windowsマシンのシェアが大幅に広がっていった。倒産したコモドール社「Amiga」用の3DCGソフト群がこぞってWindowsへの移植を進めていったのも、丁度この頃だ。またsgiのハイエンドソフトであったSoftImageがマイクロソフトに買収され、Windowsプラットフォームに移植されてきた。これも96年の出来事である。

 これらによって3DCG制作現場は、大量のフリーランスを輩出した。それまでは専門の制作スタジオで仕事するのが当たり前だったCGが、Windowsパソコンでできるようになったのである。インプレスでも、グループ会社のMdNで「WinGraphic」なる雑誌をスタートさせたりした。

 96年頃の筆者の仕事で覚えているのは、同年発表されたソニーの業務用デジタルVTR「BetacamSX」のプロモーションCD-ROMなどを制作したことである。この3DCG画像は、当時のWindows版LightWave4.0というソフトウェアで作成したものだ。Ver5.0からはOpenGL対応になるのだが、それ以前であるからモデリング中はワイヤーフレームしか見えない。今にして思えば、各バーツの接合面などをどうやって合わせていったのか、自分でも不思議である。

ベータカムSXのスタジオデッキ「DNW-A100」


ベータカムSXのカムコーダ「DNW-7」 ベータカムSXのテープ。カットモデルも作れるように、中のパーツも全部作った

 もちろん一介のCG屋ふぜいに、未発表放送機器のCADデータなど渡してくれるはずもない。デザインモックもソニーの敷地内から一歩たりとも出してはならぬということで、しょうがないから厚木のソニーTECに2~3週間泊まり込みで、モックをノギスで採寸しながらその場でモデリングしていったという 思い出がある。


コミュニケーションの10年

 10年前にPC Watchがスタートしたと言うことは、すでにインターネットは一般的なインフラへの道を駆け上りつつあったということである。ISDNでテレホーダイ、そういう時代だった。

 当時はまだ、パソコン通信とインターネットは、共に別次元で存在していた。当時のネットコミュニティは、今とは比べものにならないほど矮小ではあったが、同時に強固でもあった。ネット上の筆者の文章を見て、出版社に紹介してくれる人もいたのである。最初はCG系雑誌のライターとして、のちに映像処理関係の本も副業として書くようになった。

 パソコンにテレビが映り、Video CD、そしてのちのDVDビデオが作成できるようになったことは、筆者にとって幸運であった。それまでPC系ライターには、ドライブやメディア、インターフェースなどパソコン周りのことがわかる人は沢山いたが、放送レベルの映像規格や信号に詳しい人は誰もいなかったのである。

 これはおそらく、別の次元で今でもそうだろう。いくらBlu-rayやHD-DVDの時代になり、フィルムの解像度云々という時代になっても、フィルムのテレシネが自分でできるAV機器ライターというのは、おそらく日本では筆者ぐらいしかいないのではないかと思う。

 2001年のそのときも、たまたま映像関係の書籍の打ち合わせで、インプレスの編集部にいた。当時担当の書籍編集者の後ろがたまたまWatch編集部で、今度AV Watchってのを始めるそうだから、ということで現在の担当者に紹介されたのが、Zooma!連載のきっかけである。

 そう考えると筆者のモノカキへの変遷は、単に運と偶然と人の善意とその場の雰囲気と成り行きによって動かされていった結果と言っても過言ではない。筆者本人ですら、週刊の連載を持つと映像の仕事に差し障りが出るなぁなどと心配していたぐらいで、まさかモノカキでメシが食えるなどとは思っていなかった。

 そんな調子だから、10年前には映像関係の友人らに「今から本のような旧メディアに行ってどうするのか」と不思議がられたものである。だが10年の間に世の中がグルッと一回転して、いつの間にかインプレスを始めとするパソコン系書籍出版社がWebメディアの老舗となり、さらには今後ネットが放送を食うかもしれないという事態にまでなっている。自力でここまで切り開いてきた、と言えればカッコイイんだろうが、その実態は気がついたらこんなに遠くまで流されていただけ、という10年であった。

 しばらく離れていたテレビ業界だが、最近またテレビの仕事が舞い込んでくるようになった。そうして思うのは、インターネットを巡るめまぐるしい動きに対して、テレビ業界のなんと変わらないことよ、という思いである。

 以前よりは多少メールが使える相手も増えたが、それでも連絡は必ず携帯電話である。思いついたその瞬間に相手を捕まえて用事を済ませないと落ち着かない気ぜわしさは、テレビ業界特有の体質だ。テレビの世界に生きるものにとって、インターネットは必須ではない。この状況が変わらない限り、放送とITの融合などは起こらない。これは、「両方の中の人」をやってみての直感である。

 筆者の次の10年は、おそらくそのあたりを料理していくことになるだろう。とかなんとか言っちゃって、ホントはまた面白そうなところに向けて、ぷかぷかと漂流していくだけなんである。こんなことで10年やってきましたよ。ええ。

小寺信良
テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「ややこしい話を簡単に、簡単な話をそのままに」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンピュータのフィールドで幅広く執筆を行なう。性格は温厚かつ粘着質で、日常会話では主にボケ役。



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