デジカメ業界の「これまでの10年とこれからの10年」



 Impress Watchがオープンから10周年を迎えた。何はともあれ、一つのメディアが10年間続くというのは、並大抵のことではない。とくにインターネットでのニュースサイトともなると、どうしてもリアルタイム性が求められるため時間との戦いになる。そのため、編集者にとって、(実作業はともかく)意識の上では、年中無休の24時間営業という感じになり、その心労は想像を絶するもの世界。それだけに、同じ創刊10年でも、雑誌メディアの数十年に匹敵する、さまざまな苦労があったことだろう。

 まずは、この場を借りて、この10年、Impress Watchを支えてきた、多くのスタッフに心から「おめでとう」といいたい。「この10年、ホントに大変だったよね……」と。

 今回のコラムは、デジタルカメラ業界の「これまでの10年とこれからの10年」ということなのだが、正直なところ、この10年を振り返っての感想は、本当にありきたりであるが、「まだ10年しか経ってないんだよね……」という感がある一方、「あぁ、もう10年経ったのか……」という、ちょっとした落胆を含んだものといえる。

 さてさて、ちょっと大げさな言い方になるが、デジタルカメラの歴史は、ほぼそのままImpress Watchの歴史といえる。

 PC Watchが創刊された1996年当時、いずれも駆け出しでアングラな存在だった「インターネット」と「デジタルカメラ」は、とても似通った存在だったような気がする。そして、いま、インターネットはメディアの中心的な存在になり、デジタルカメラは銀塩カメラを凌駕し時代を席巻した。

 当時の両メディアは、メジャーでなかったぶん、そこにはあらゆる自由度と底知れぬ可能性を秘めた、血気盛んな“若者”だったような気がする。それが、PC Watchとデジタルカメラという存在をより強く結びつけたといっても過言ではないだろう。

 そして、当時、どちらも発展途上であり、いろいろな人が知識や意見を出し合いながら発展させていった感もあり、いまこうして振り返ってみると、実に感慨深いものがある。

 いまから10年前、PC Watchの創刊当時、私は「DOS/Vパワーレポート」で連載を持っており、そのときの担当者が、現在のWatch総編集長の伊達さんだった。PC Watch創刊時に、その伊達さんから「インターネットで、なにか面白いことやりましょうよ!」と誘われ、PC Watchにデジタルカメラの記事を書き始めたことを、いまもよく覚えている。

 私自身、当時のインターネットとデジタルカメラに、「なにか、面白いこと」ができるような“自由と可能性”を感じ、PC Watchとのお付き合いが始まった。

一大事件だったQV-100のリコール騒動

 さてさて、PC Watchが創刊された10年前の2006年7月当時、パーソナル向けデジタルカメラはまだ黎明期。前年の95年3月10日に、世界初のカラー液晶搭載機となる、パーソナル機の元祖「カシオ・QV-10」(1/4VGA)が登場しており、その後、各社から35万画素クラスのモデルがようやく出始めた時代だ。

 そして、私がPC Watchに初めて記事を書いたのは、その創刊日である96年7月22日に掲載された「デジタルカメラランキング」であり、Watchはその産声を上げた初日から、デジタルカメラの記事を掲載していたことになる。

 正直なところ、当時は、インターネットもデジタルカメラも、まだまだ出始めの時期であり、世の中に広く認知される以前のもの。そう、世間では、まだまだ海のものとも、山のものとも知れない存在だったような気がする。私など「デジタルカメラなんて、所詮オモチャ。(フィルム)カメラに取って代わるわけないじゃないか!」と何度言われたことか……。

カシオ・QV-100
 だが、PC Watch創刊直後に、大きな事件が起こる。それが「カシオ・QV-100」のリコール騒動だ。インターネットは紙媒体と違って、デジタルカメラで撮影した画像を、そのまま掲載することができる。そのため、インターネットは、デジタルカメラの画質をチェックするには、絶好の媒体といえる。その威力(?)を多くの人に知らしめたのが、このリコール騒動だ。

 まず、インプレッションとして、私が初めてPC Watchに記事を書いたのは、96年8月5日に掲載された「カシオ・QV-100 ベータ版」のファーストインプレッション。そこでの写りはまずまずだったのだが、同機が発売された8月24日の2日後となる26日掲載の記事には「ベータ機より画質が低下したQV-100」という見出しとともに、製品版での実写レポートが掲載された。それとほぼ同時に、発売日に購入したユーザーがインターネット上に画像を掲載し、あっという間に、世評が動いた。

 そして、発売からわずか6日後の8月30日、カシオは「QV-100」のリコールを発表。それと同時に、大手新聞社が、日本で初めてのインターネット上での情報公開がきっかけのリコールとして報道。それは、おそらく、日本の一般メディアが、インターネットの力を初めて認めた瞬間だったと思う。

実はこの一件から数年経って、同機の開発者であり「NHK・プロジェクトX」にも登場した末高氏から「最初、インターネットはこれほどありがたいメディアはないと思わなかった。けれど、リコールの件があってから、これほど怖いメディアはないと思った」という趣旨のお話を伺ったのを、いまも覚えている。

 ちょっと大げさな言い方になるが、銀塩カメラの画質は印刷で100%表現することはできず、実際に買ってみないと、ほんとうの写りを体感することはできない。それはカメラ専門誌という紙媒体で長年仕事をしてきた人間にとって、大きなジレンマだった。

 それがデジタルカメラの時代になり、それがインターネットと結びつくことによって、実際の写りを、自分のパソコン上で体感することが可能になった。そこには「印刷が悪いから……」といった紙媒体時代の画質への言い訳は一切通用しない世界。だからこそ、ネットでのデジタルカメラのレポートを、多くの読者が受け入れ、それに応えるべく、メーカー側も性能向上に真剣に取り組んできた。それが今日のデジタルカメラの急速な発展に大きく貢献していることはいうまでもない。

 その意味で、とても大げさに言えば、デジタルカメラは黎明期からネットと結びつくことで、民意をいち早く受け入れた進化ができた、最初の工業製品だったような気がしてならない。


10年目のデジタルカメラ

リコー・DC-3Z
 さて、いきなりで申し訳ないが、いまのデジタルカメラは、人間でいえば、まだようやく中学を卒業した程度の段階でしかないと、私は思っている。

 デジタルカメラは確かに、この10年間で銀塩カメラをリプレイスするところまで来た。けれど、それはデジタルカメラが自ら、独自の道を歩んできたわけではなく、銀塩カメラという偉大な先輩をお手本にし、その成功例や失敗例を見ながら進んできた結果に過ぎない。

 確かに、10年という短期間で、それまでの銀塩カメラの欠点を克服。よりコンパクトで失敗の少ないカメラへと成長した。

 けれど、その一方で、デジタルカメラの基本スペックといえる画素数の進化について考えると、必ずしもカメラメーカーが主体になって進んできたわけではない。むしろ、この10年の進化は、デバイスメーカーが開発した最新のCCDを搭載することで、画素数を増やし、前モデルとの差別化を図ってきたわけで、極端な言い方をすれば、先代モデルを陳腐化させることで進化してきたわけだ。

 もちろん、薄型化や小型軽量化、レンズの高倍率化、液晶の大画面化といった動きはあるが、基本線はあくまでも銀塩カメラの時の価値観の延長であり、デジタルならではの新機軸を打ち出したと明確にいえるものは数少ない。

 メガピクセル機が主流になる高画素競争以前のVGA時代。具体的には1995年から1997年くらいまでのデジタルカメラは、デジタル化による、あらゆる可能性を探った、実にユニークなモデルが多く、デジタルだからできる機能や方向性を模索していた。

 たとえば、レンズ回転式にすることで自分撮りを実現。PCなしでのダイレクトプリントやデータ保存まで対応していた元祖「カシオ・QV-10」(1995年)、外部モデム接続によるカメラからの画像通信や音声付き動画まで実現していた1995年発売の先進モデル「リコー・DC-1」(1995年)、シャッターを押す直前の画像を写せたり、赤外線転送で画像を飛ばせた「ソニー・Cyber-shot DSC-F1」(1996年)などはその代表例だ。

 実際、この3つのデジタルカメラが“夢見た世界”は、その後、画素数競争時代の到来とともに忘れ去られ、その完成型といえるようなモデルは、10年経ったいまも、明確に存在しているわけではない。

キヤノン・IXY DIGITAL 50
 どうも、なんだか「大きくなったら、何になりたい?」という夢を持っていた小学校低学年の頃から、次第に大きくなるにつれて、夢を失い、日々の現実に押しつぶされてゆく課程を見ているようで、何ともやるせない。

 とくに、デジタル一眼レフの世界などは、1998年頃にカラー液晶搭載機が登場して以降、(価格を除けば)画期的に変化したところはなく、画素数や連写速度の向上程度で、現在に至っている。

 私などは、新製品発表会のあと、旧知の企画担当者に向かって「あのころ夢見たデジタルカメラって、こんなものじゃないでしょう!」と食ってかかったこともあった。そんなとき、決まって帰ってくるのは「でも、いまは仕方ないな。まず、売れなきゃね……」という言葉。

 やたら悲観的で申し訳ないが、これがこの10年間のデジタルカメラのあゆみである。

 とはいえ、この10年間の動きを否定するつもりはない。

 実際、毎年毎年、画素数が上がり、機能が向上し、価格が手頃になるにつれて、デジタルカメラに関心を持つ人が増えたのは事実。ユーザーが高画素や大画面、小型軽量、低価格などさまざまな要求をすれば、その都度、それに応えてきた。

 その結果として、銀塩カメラからデジタルカメラに乗り換える人が急速に増え、旧機種から買い換える人も増えて市場が拡大し、いまに至っているわけだ。

 けれど、「このままでいいのか?」と、10年経ったいま、もう一度、問いたい。
 「デジタルカメラの進化は、これでよかったのか?」と……。


これからの10年

ペンタックス・K10D
 私はデジタルカメラの進化を語るとき、1995年から2005年までの10年間を「第一期デジタルカメラ時代」と呼んでいる。具体的な機種名をあげれば、「カシオ・QV-10」に始まり、生活防水機「オリンパス・μ-10デジタル」が登場したあたりまでを指している。

 この第一期デジタルカメラ時代は、デジタルカメラが、それまでの銀塩カメラに追いつくための10年間であり、目標はあくまでも、銀塩カメラのリプレイスに他ならない。つまり、アナログからデジタルへの移行時期であり、業界の一部では「A/D変換」と呼ばれている。

 そして今後は、デジタルカメラが、デジタルであるメリットを最大限に生かした進化を遂げる時期。つまり、デジタルカメラが、より魅力的なデジタルカメラへと進化するための「第二期デジタルカメラ時代」へと移行する時期が、“これからの10年”なのだ。

 そして、この10年、デジタルカメラはひたすら、“便利”になることを目指してきたが、2006年以降は、“便利”から“楽しい”へと、その中心的な価値基準を変えつつあるように思う。

 いや、むしろ、積極的に、カメラの価値観を変えねばならない時期にさしかかっているといったほうが正確だろう。

 今後、デジタルカメラがどのように進化して行くのか? それは現時点では誰にも正確なことなどいえないだろう。しかし、確実にいえるのは、デジタルカメラはまだまだ、ユーザーが望む方向、ユーザーを楽しませてくれる方向に進化できる可能性を秘めているということだ。

 まず、私が一番期待しているのは「見てキレイ、持ってうれしい、使って楽しい」デジタルカメラの進化。見て、持って、使って、ワクワクドキドキするようなデジタルカメラが欲しい。

 また、使っていて心地良くなるようなカメラもぜひ登場して欲しい。そう、自然にいい写真が撮れるように導いてくれるカメラ。楽しく写真を撮るための手助けをしてくれるカメラだって、きっとできるはずだ。

 そして、ホントに欲しいのは「心を豊かにしてくれるカメラ」だ。

ニコン・D40
 こんなことを書くと、ぜんぜん具体性がないように思えるかも知れないけれど、そんなことはない。たとえば、カメラがいま近所で咲いている花や近くのイベントを教えてくれたっていい。もちろん、その程度の情報を検索するなら、携帯電話だって、PC+インターネットだって、いまや朝飯前。ならば、それをカメラが自動検索し、そのデータをダウンロードして、カメラの内蔵メモリに書き込んでおいてくれればいい。

 もちろん、カメラにWiFiとGPSが標準搭載される時代は目と鼻の先なので、そんな面倒な事前準備をする必要もないだろう。

 ならば、そのカメラの情報収集機能を使って、もっともっと、いろいろなことを楽しみたい。それは「いい写真を撮るために」ではなく、まず、自分自身がその風景やイベントをもっと楽しみたい。そして、そこで写真を撮りたくなったら、カメラ機能を使えばいい。極端に言えば、カメラは、いろいろなことを楽しむためのコンセルジュであり、コンパニオンであっていいと思う。

 そして、撮った写真は、ワイヤレスで、大画面テレビで楽しみたい。もちろん、最適なBGM付きで。しかも、データをわざわざ保存するなんて面倒なので、クレードルに置いたり、テレビで楽しんでいる間に、バックグラウンドでHDDビデオに自動転送。ユーザーが保存することを意識することなく、自動保存され、ネット上の電子アルバムサイトに自動転送しておいてくれればいい。

 そう考えると、いまのデジタルカメラはまだまだ中学生程度。“言われたことはやるけれど、いわれなきゃやらない”し、“自分から進んでやる”ところまで成長していない。ましてや、どうしたら、“相手が心地良く感じる”かなんて想像力を働かせるところまで至っていない。

 まだ、そのレベルに留まっている現在のデジタルカメラを“一人前のツール”だと、私は思いたくない。ましてや、いまのレベルで”デジタルカメラは成熟期だ”なんて、口が裂けてもいうことなどできない。

 デジタルカメラはこの10年でかなりの進化を遂げた。けれど、まだまだやるべきことは沢山ある。デジタルカメラはもっと人にやさしくなるべきだ。

 そして私は、デジタルカメラに対して、“これまでの10年”とはひと味違う、”これからの10年”に過大なほどの期待をしたい。デジタルカメラは、その期待に応えてくれるだけの大いなるポテンシャルを秘めているのだから。

(山田 久美夫)




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