「『極私的』私とWatchの10年」
~この10年を振り返ると、猫との10年ではなかったか?~



 「10周年だから何か書け」と編集Y氏に言われて、もうそんなになるんだっけ?と驚いてみたり。ただ自分のProfileを見直してみると、「あれもうライター15年もやってるのか!」とかと気が付いて、自分で呆れてみたり。先のProfileにもまとめてあるが、ライター15年といっても、そのうち7年ほどは兼業ライターで、原稿料がそのままPCパーツに直行するような生活を送っていた。なので、純粋にライターだけで食っていたのはここ8年かその位である。で、この8年を振り返ると「ああ、ライターで稼いで猫に貢いでいたなぁ」と思ったり思わなかったり。

 ちなみに手元にあるメール版のWatchを見てみると、一番古いのはPC Watchの1996年8月27日のものである。この頃は、まだ独立系ソフトベンダーで証券のシステムの立ち上げの手伝いかなんかをしてた頃じゃないかと思う。確かあの時はクライアントがWindows NT 3.51をベースにシステムを作っていて、そうしたらNT 4.0のβが出てきて、あまりにLook & FeelがWindows 95ライクなのでお客が「こっちがいい」とか言い出して、ところがネットワーク周りの互換性に引っかかってミドルウェア(たしかDBサーバとの通信部ではなかったか?ちなみに当時の事だから、サーバーはSunか何かだったと思う)が全滅するとかしないとか、そんな話をしていた気がする。で、その直後に転職したらWindows NT 4.0のDisplay Driverを書くことになって、ところがNT 4.0のDDKのドキュメントがTBF(To Be Filled)ばっかりで使い物にならず、NT 3.51のDDKドキュメントを読みながらNT 4.0のサンプルソースを追いかけて動作を理解するという、何か不思議な事をやってた記憶がある。

 当時仕事で使ってたのは、確かPentium Pro。ASUSTeKのP/I-XP6NP5と組み合わせていて、当然Windows 95とかでは遅いのだが、何しろ仕事環境ではNTしか入れてなかったから全然問題はなかった。自宅では....あの頃何を使っていたのか、もはや記憶にない。で、初猫は確かこの頃である。厳密には「隣の家が餌付けしている外猫」。お隣が留守だとウチに飯を食いに来て、ついでに布団の上で一眠りして帰ってゆく、ふてぶてしい奴だった。

The 20th Anniversary Macintosh
 翌年早々にアメリカ行きが決定。お陰で2月に急遽入籍、パスポート作成、Hビザ申請とかをまとめて行い、3月には引越し準備をして、4月からSan Mateoの住人になった。この頃といえば、確かK6-233MHzとかが買えるようになって、ところが品薄で全然入手できないとかそーいう騒ぎになってたような(あ、西海岸の話です)。多分M/BはASUSTeKのP/I-P55T2P4あたりだったと思う。ビデオカードが色々面白くて、Cirrus LogicのCL-GD5464(Concurrent RDRAMという、第2世代のRDRAMを搭載した製品)とかがバルクで売っていたり、PowerVR搭載製品が丁度出たり。そういう中で当時は無名だったRIVA 128を搭載したDiamond MMのViper 330を購入したのだが、まさかこの会社がその後急成長するとは思わなかった。Voodooについては、翌年アメリカを離れる前位にVoodoo 2が本格的にブレイクした感じ。アメリカに居る時にはVoodoo 1はあんまり流行ってなかった気がする。まぁシリコンバレーだけかもしれないが。PC絡みで言えばアメリカにいる間にThe 20th Anniversary Macintosh(通称すぱるたかす)が発売になったのはいいが、あんまり売れなかったためか、翌1998年に爆裂価格(筆者がコンタクトしたところは$1899.00)で流したところ、全世界からオーダーが殺到、一転販売中止の騒ぎになったのも、まだ記憶している。アメリカのみオーダー可能とかいう話になっており、当時日本の友人からの頼みで代行して購入手続きをとったものの、結局モノが入荷せずにキャンセル扱い。返金処理にえらい苦労した覚えがある。

 その後は専業ライターということで、ベンチマークやったり解説記事書いたりの毎日である。あまり特筆すべきイベントはなく、淡々と日々を過ごしていたらいつのまにやら8年経っていたというか。まぁお仕事として最新のCPUやメモリ、各社のビデオカードなどを延々と触らさせられていたから、ある種新製品には無感動に近いというか。勿論嫌いでやってるわけではないから、それなりに楽しくはあるのだが、寿司が好物だからといって毎日寿司食ってたら食傷する感じとでも言えばお判りいただけようか?ネットワークもそうで、最初は勤務先が10BASE-2を10BASE-Tに置き換えて、大量の10BASE-2機材が余るというので、それを払い下げてもらって自宅でLAN組んで喜んでいたのが、何時の間にやら自宅の基幹LANは1000BASE-T化している。しかもLANそのものが3系統(ピーク時は4系統あった!)あったりする。外線も、2400bpsのAIWAのモデムでNiftyに繋いでいたのが、その後Supraの9600bps→AIWAの9600bps→Supraの14.4Kbps→どっかの28.8Kbpsと進化してゆき、渡米前にはISDNのTAが2台も転がってる始末。帰国後はMN128-SOHOかなんかで始まり、東急CATV(現ITSCOM)と契約→ADSLを追加→Flet's光を追加、と進化してゆき、10年前とは比較できないような状況になっている。だからといって感動があるかといえば、新しい機材を導入した直後はその速度に感動するものの、すぐに慣れてしまって「遅い~」とか言い出す始末だから、人間は慣れる動物と言うことだろう。

 仕事の面でも似たようなものだ。ベンチマークや解説、用語集、etc...に加えて「アメリカ行ってたんだから海外取材いけるだろ」とか言われてCOMDEX 1998を皮切りにあっちこっちに行かされている間に、PCWatchのライター陣(山田祥平、元麻布春男、塩田紳二、後藤弘茂、笠原一輝の各氏。辛うじて本田雅一氏は日本で面識を持っていた。あと西川和久氏は別の雑誌で長く一緒だったので面識たっぷり)と「海外で」知り合うという妙なことになったりして、そのうちに自分までWatchに書くようになってるんだから、世の中計り知れない。で、最初はひーこら拙い英語で必死に取材とかインタビューをこなしていたのが、気が付くと相変わらず拙い英語のまま、平然とインタビューをする状態になっており、「英語は気合」という間違った教訓が身についただけで終っている。勿論次第に内容が高度化してきて、常に勉強しないと追いつかない上、Embeddedとかもカバー対象に広げたら更に勉強すべき内容が増えてあっぷあっぷ、という感じもあるのだが、そうは言っても方法論が根本的に違う、といった話もあんまりなかったりするから、未だに何とか追いついていられる。そんなわけで、気が付いたら10年経ってましたよというのが本当のところだ。いや、この10年のCPUアーキテクチャを語れとか言われればそれはちゃんと語れるんですが、そうではなくて「私とWatchの10年」みたいなお題だと、「あー、気が付いたら10年経ってました」といった感想しか出てこない。まだ兼業ライターやってた時の方が、色々語りやすい感じである。

 そういう中で10年を熱く語れるのはやっぱり猫なんですな。困ったことに。気が付いたら仕事場に3匹、居間に1匹、外に5匹で9匹の猫を抱える身となり、こいつらが日々いろんな事をやらかしてくれるので、退屈する暇もない。思うに本業が猫ライターで、趣味がPCとかなら、全く逆の印象になるんだろうなぁ、とか思ったりする。ま、でもSunの記事を書いたらコレが一番ウケたとか、乳飲み子をネタに記事を書いたら、応募が殺到した(ちなみに4匹まとめて里子に行き、いまでは全員立派に成猫と化してます)とか、猫が絡むと記事を書いていて楽しいので、やっぱりこれからも筆者の記事には無意味に猫が出ると思う。

Sun Ultra 20 Workstation Sunの記事で一番ウケたのがこの写真 応募が殺到した子猫たち

 あえてWatchに語る事があるとすれば、「フリーの」専業ライターになるのがちょっと遅く(2002年)、山下憲治氏と面識を持つ機会を逸した事か。それだけが、唯一心残りではある。ただ今それを悔やんでも取り戻せる訳ではない。だから次の10年には、そうした心残りを作らないようにしてゆきたい、とだけは思っている。ただここから10年といえば筆者も52になってる計算で、そんな歳になってまだライターがやれるのか?という素朴な疑問もある。大体生きてるかどうかだって怪しいものだ。まぁどうなってるか判らないが、生きているとすれば「猫の世話をしてて、気が付いたらまた10年経ってました」という感じなんじゃないか、と思う。

(大原 雄介)




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