鈴木淳也のPay Attention

第85回

シリコンバレーの交通系ICカードがApple Payに対応する

今回の話題はClipperカード。私物だが、相当に使い込んでいるのでかなり傷と汚れが目立つ

最後の海外渡航(欧州)から間もなく1年が経とうとしている。かつて長年住んでいて、現在も活動拠点の一部が残っている米カリフォルニア州サンフランシスコは、帰国後も2-3カ月に1回ペースとかなり頻繁に訪問していたので、こんなに長期間連続で顔を出せなくなるとは2020年1月の最後の訪問時点では考えもしなかった。

サンフランシスコ訪問時は取材に買い物、知人の訪問と、サンノゼやパロアルトなどの地区を含むサンフランシスコ・ベイエリア(以下、SFベイエリア)を縦横無尽に駆け回ることになるが、このときに重宝するのが「Clipper」という交通系ICカードだ。SFベイエリアには20以上の交通事業者が存在しており、それぞれに異なるチケットを発行し、改札方式なども異なっている。乗り換えのたびにチケットを購入したり、釣り銭の出ない料金箱に紙幣と硬貨をピッタリの金額だけ用意しておいて投入する作業は繁雑なので、一度金額を多めにチャージしてある共通のICカードがあれば、あとは“タッチ”操作だけで気軽に移動ができるので非常に便利だ。

そしてこのClipperが、ついにApple Payに対応するという。もともと物理カードしか用意されておらず、チャージできる場所が特定の券売機かWalgreensのようなドラッグストアのみと非常に限られているため、(次のチャージ機会までに残高不足にならないよう)毎回かなり多めにチャージを行なう必要があったのだが、モバイル対応すればその心配からも解放される。

ClipperのTwitter公式アカウントが2021年春での対応を表明しているほか、Appleの公式サイトでも専用のページを用意してアナウンスしているなど、かなり大きめの扱いだ。

ClipperがついにApple Pay対応することに

筆者が把握している限り、Apple Payが米国でスタートした2014年時点ではすでにClipperのApple Pay対応プロジェクトが存在していたため、およそ6年越しでようやく実現にこぎつけたことになる。

シリコンバレーの移動で活躍する「Clipper」カードとは

Clipperはサンフランシスコを含むSFベイエリア内で2000年代に段階的に導入が進み、後に域内のメインとなる事業者が参加したタイミングで従来のTransLinkから「Clipper(“Clipper”は帆船の意味)」へと名称を変更して今日に至っている。

公式サイトのFAQによれば現在域内の23の事業者での共通利用が可能とのことで、域内交通局である「MTC(Metropolitan Transportation Commission)」によって運営される。交通系ICカードとしてはMIFAREをベースとしたもので、「Stored Value」方式を採用する。

機能的な位置付けとしては日本のSuicaに近いが、物販などには開放されていない。

Clipperでよく問題となるのが入手方法とチャージ方法で、交通系ICカードの入手が比較的容易な日本に比べ、Walgreensのようなドラッグストアや公式の取扱所に出向く必要があり、例えばサンフランシスコ国際空港に到着した客がバスや鉄道(BARTやCaltrain)に乗車して街に移動しようとしても、最初にClipperが入手できないため券売機で紙のチケットを購入したり、バスの運賃箱に現金を入れて乗車する必要がある。

またチャージについても、鉄道などは駅で現金やクレジットカードを使って残高を付与できるが、バスではチャージが行なえない。SFベイエリアの公共交通はバスが中心となるため、やはりWalgreensなどの店舗に出向いてチャージするしかない。一応、オンラインでカードを登録してクレジットカードなどでのチャージが可能になっているが、残高が追加されるまでなんと「最低2-3日」程度は必要ということで非常に使い勝手が悪い。さらにいえばモバイル対応もなく、あくまで物理カードを利用するしかない。

「ITの最先端といわれるシリコンバレーの交通系ICカードがこのレベルか」という感想で、正直いって交通系ICカードとしてはかなり使いにくい部類ではあるのだが、これでもClipper導入以前と比べれば格段に使い勝手が向上している。

バスに乗車するために、釣り銭の出ない料金箱に投入するための小銭や1ドル札を大量に用意したり、交通機関を乗り換えるたびに券売機に行列を作って紙のチケットを購入したりと、のんびりとした土地柄にあっても毎回ストレスだったものが、Clipperに20-30ドル程度の残高を付与しておけば1-2日は自由に動き回れる点で利便性が向上している。

SFベイエリアには複数の交通運営事業者が存在しており、販売するチケットから乗車方法まで大きく異なっている。列車の到着時刻を把握して早めに駅に来ないと慌ててチケットを購入することになる(このCaltrainはおよそ1-2時間に1本しか来ない)
Caltrainに乗ってサウスベイからサンフランシスコまでやってきた。Caltrainは信用乗車システムなので、乗車時と降車時に駅のリーダーにClipperカードを忘れずタッチする必要がある
Clipperカードの入手やチャージはWalgreensなどのドラッグストアやコンビニ、あるいはこのようにフェリービルディング内の案内所などだが、空港に到着した客は最初に街に移動するまでカードの入手方法がないという難点がある

モバイル対応の波

そんなClipperにもモバイル対応の時期が到来した。前述のように2014年の時点ですでに何度か「Apple Pay対応」の話題を小耳に挟んでいたのだが、テストは行なわれていたという話は聞いても、実際に機能が搭載されることはなかった。詳細は後述するが、技術的問題があったと考えられている。

一方で、2015-2016年にかけて「MuniMobile」アプリのプロジェクトが進行していた。「Muni」はサンフランシスコ域内をカバーするバスとトラム(Muni Metro)の総称で、ルート検索などの機能がアプリでは提供される。また最近になり、QRコードの乗車チケットをモバイルアプリ上で購入可能になった。

Muniでは最初の乗車から90分以内は同一料金で乗り換え可能というルールがあり、現金乗車の場合は「Transfer Ticket」と呼ばれる紙切れを渡され、乗り換え乗車の目印となる。

Clipperの場合はカード上に時刻が記録されるため、90分以内であれば2回目以降の乗車はリーダーに“タッチ”しても残高の引き落としは行なわれない。QRコード乗車券の位置付けは「Transfer Ticket」に近く、制限時間以内であれば自由にMuniの交通機関を利用できる。

乗車直前にモバイルアプリでチケットを購入すれば乗り換え時間を最大限活用できるうえ、1日の行動プランによっては1日券を購入するのもいいだろう。1日券は案内所の行列に並ぶ必要があるなど入手ハードルが高かったのも不評な点で、MuniMobileアプリはこの問題を解決する。

サンフランシスコ市内を走るMuniバス。現金での乗車は1ドル紙幣や25セント硬貨が必要で煩わしいので、Clipperカードがあったほうが便利
SFMTAが出しているMuniMobileアプリ。購入した時間制のチケットをQRコードで表示するアプリだが、Muniメトロのように改札のある乗り物は駅員に許可をもらって通過する必要がある

ただし、MuniMobileのチケットは信用乗車方式であるバスや長距離鉄道であれば問題ないが、入場ゲートの存在する地下区間を走るMuni Metroや、空港アクセス路線でもある「BART」ではQRコードを読み取る機構がゲートに存在しないため、そのままでは通過できない。そのため、MuniMobileの公式サイトでは「Muni Metroのゲートを通過するときは係員の窓口に行ってその旨を伝えるように」とアドバイスしている。さらにいえば、このアプリはMuniが運行されるサンフランシスコ域内限定であり、SFベイエリアの他の交通機関には利用できない点にも注意が必要だ(これはBARTも同様)。

一方で、同じチケットシステムがサンフランシスコとサンノゼを結ぶCaltrainのモバイルアプリにも採用されていたりと、「いまは限定運用だが、将来的に相互乗り入れを想定」のような流れになっている。

SFベイエリアを1周するように路線網が整備されつつある「BART」。空港からのアクセス路線でもある。そもそもClipperか専用の磁気チケットしか受け付けないため、MuniMobileアプリは使用できない

ClipperのApple PayとGoogle Pay対応

TransLink時代からは20年、Clipperとしての運用が始まって10年が経過しているが、現在MTCでは「C2(Clipper 2.0)」の名称で呼ばれる「次世代Clipper」のプロジェクトが走っている。2018年9月には現行のClipperシステムの技術開発と運用を担当するCubic Transportation SystemsがMTCと3億9,400万ドルのプロジェクトで合意したことを発表しており、今春にも順次ロールアウトされる形になる。

このプロジェクトにより、ここまで触れてきた「チャージに時間がかかる」「(スマートICの)モバイル対応」「モバイルチケットとの連動」といった課題の数々を解決できるという。つまり、冒頭の「ClipperのApple Pay対応」とは、「ClipperのC2への移行」を意味しており、テストが行なわれつつも長らく導入が進まなかった理由がここにあると考えられる。

Cubic Transportation Systemsはロンドン交通局(TfL)やシンガポール交通局(LTA)、ニューヨーク市交通局(MTA)でのオープンループシステム導入で知られており、同社の交通系料金徴収システムは世界でも最先端のものだ。ただしCubicのプレスリリースの下記の文言にもあるように、C2はあくまで「open payment ready」であり、少なくともC2がロールアウトされた段階でオープンループに対応する意向はないようだ。

> The enhanced readers will be “open payment ready” making way for optional contactless bankcard payments if adopted by the Clipper operators.

ICカードのチャージ問題に悩まされ、1日券などの柔軟な支払い方法の選択肢が狭められていたことから考えればApple PayやGoogle Pay対応は大きな前進だが、若干残念な部分ではある。

サンフランシスコ名物ケーブルカーはMuniMobileとClipperの両方が利用可能(現在は運休中)

C2が最終的にどのような運用になるか不明な部分があるが、現行のClipperに関して以前にMTCの関係者に聞いたところ、「オフライン運用」をされているという話があった。

例えばMuniバスの場合、Clipperの「Stored Value」の仕組みを使ってバス内のリーダーとカードの通信を行なうが(リーダーの数は通常のバスで2カ所、連結バスで3カ所)、この時点ではオフラインでひたすら情報をため込み、1日に1回バスが営業所に戻ったタイミングでWi-Fiを使って一気にデータを転送して集計を行なうというものだった。

つまりSuicaであれば1日に何回も行なわれるネガ反映や情報アップロードも(ケースによるが最低でも1日4-6回程度といわれる)、1日ないしはそれ以上の反映時間がかかるということになる。

先ほどの「残高チャージに2-3日反映までに時間がかかる」という部分もここからきていると思われ、サーバ上でオンラインチャージが反映された残高のデータがリーダに読み込まれ、そのデータが当該カードがリーダに“タッチ”されたタイミングで書き込まれて反映が行なわれる流れとなるが、「反映は最短でも翌日以降」という理由になっている。

このような仕組みになっている理由の1つは「携帯ネットワークの通信モジュール」を組み込むハードウェア費用と回線費用の両コスト負担が大きいためと思われるが、少なくともオフライン動作でオープンループを実装するのは難しいため、C2で根本を変えない限りは難しいだろう。Cubicのいう「open payment ready」が何を意味しているのか不明だが、少なくともハードウェア自体は対応しており、あとはソフトウェア的に通信回線費用をMTCなどが負担するかという問題であれば、将来的な展開が見えてくると考えている。

筆者の米国で利用できる交通系ICカードコレクションの一部。SmarTripとTapはすでにApple Pay対応のため、これにClipperが加われば多くの場所で専用カードが不要になる

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)