西田宗千佳のイマトミライ

第109回

クラウドPC「Windows 365」はなぜ生まれたのか

マイクロソフト「Windows 365」

7月14日(米国時間)、マイクロソフトは法人市場向け新サービス「Windows 365」を8月2日よりスタートすると発表した。

Microsoft、月額制クラウドPC「Windows 365」を8月提供開始

簡単にいえば、Windows 10もしくは11をマイクロソフトのクラウドサービスである「Azure」上で動かし、ウェブブラウザー経由で提供するものだ。

詳細は後述するが、PCの能力をクラウド経由で提供する、という考え方は珍しいものではないのだが、マイクロソフト自身がシンプルなビジネスモデルで提供する、という点が大きな変化と言える。

さらに遡れば、「企業のPCをローカル機器ではなくリモートで提供する」という考え方は過去から存在するもので、「歴史が巡ってまた注目されるようになった」ということもできる。

だが、過去のものとWindows 365とでは少々位置付けが異なる。そこには人々の働き方の変化も影響している。Windows 365はなぜ生まれることになったのか。今回はその辺を解説してみたい。

Windows 365とはなにか

Windows 365はどういう仕組みなのか? 実のところ、全く新しいテクノロジーを使っているわけではない。

マイクロソフトはこれまでも、Azure上でPCをリモートの形で提供する「Azure Virtual Desktop」という技術を提供していた。ただ、多くの企業がこれを使って業務用PCを導入するには、OSのライセンス的にも料金体系的にも使いづらいところがあった。

他のクラウドベンダーがWindows Serverのライセンスを使ってクラウドPCを提供していたりするが、それも面倒だ。

なので、OSのライセンス形態を整備し、PCの設定もわかりやすく整理し、予算を考えやすいように「利用時間単位」から「契約台数・性能に合わせた月額固定制」に変えることで、明確に「Windows PCをネット経由で提供する」形にしたのが、Windows 365である。マイクロソフト自体がWindowsを導入している企業ユーザー向けに、「物理PCにWindowsをインストールするのでなく、クラウドPCを提供できるようにする」サービスモデルを用意した……と考えるのがわかりやすいだろうか。

一人一人がクラウド上に仮想化されたメモリーやCPUパワー、ストレージ容量を持ったPCを用意し、それぞれの作業ができるようになっている。

個々人に仮想化したPCが渡されるが、それぞれは分かれている上にローカルにはデータが保存されないので、セキュリティと独立性を同時に担保できる

「PCの遠隔操作」は何度もあったコンセプト

クラウド経由でPCを提供する意味は、以前より存在していた。そもそも、「コンピュータの演算主体は手元にあるわけではない」という形態は、PCが生まれる前のホストコンピュータ+クライアント、という時代に存在したもの、ということもできる。

1996年にはサン・マイクロシステムズが「ネットワークコンピュータ(NC)」というコンセプトを打ち出し、企業や家庭で低コストにクライアントを増やす考え方が生まれた。いわゆる「シンクライアント」という言葉はこの頃に生まれたものでもある。

それ以来、いろいろな形で同じコンセプトが注目を集めたり当たり前になったりを繰り返しつつ、今に至る。

一番わかりやすいのは「セキュリティ」だ。データをローカルなPCに残したり、外部メディアに記録可能にしたりすると情報漏洩につながる。それを回避するために遠隔操作的な使い方をするわけだ。

開発現場でも有用だ。OSやPCのセットアップをやり直すことも多いし、多数のバリエーションでテストするための機材セッティングも必要になる。そのため、テスト向けに大量のPCが必要な場合、物理的なPCを多数用意するのではなく、ネットの向こうにあるPCを遠隔操作するような構造が望ましい。

より今日的な課題は「在宅ワーク」対応だ。物理的なPCをセットアップした場合、当然台数分の手間がかかる。特に現在は在宅ワークも増えて、「社員宅にセットアップが終わったPCを送る」作業も必要になる。クラウド経由で会社のPCを使えるなら、それらの問題は解決する。

一部の企業では、リモートによるPC利用は日常的に使われている。特にコロナ禍の在宅ワークでは、会社にあるPCに自宅からログインして使う……という例も少なくなかった。Windows 365があろうがなかろうが、使うところは使っていたのだ。

もっと多くの企業が使いやすくなるよう、マイクロソフトがサービスモデルを整備したのがWindows 365なのである。

働き方の多様化やモバイルネットワークがクラウドPCをもたらす

現在は回線事情が良くなり、サーバーの仮想化技術も、操作画面を圧縮して伝送する技術も変わった。クラウド経由でゲームを提供するサービスが普通に存在している時代だから、ビジネスPCの提供は難しくない。

全力クラウドゲーミング。マイクロソフト ゲームビジネスへの展望

特にモバイルネットワークの進化は大きい。4G・5Gで環境が悪くない場所なら十分に作業はできるだろうし、セキュリティも維持できる。

クラウド経由になるので、どこでもどのデバイスでもWindowsが利用可能になる

ただ、注意が必要な点はいくつかある。

1つ目はやはり「企業向けであり、個人向けではない」ことだ。本質的には多数のPCを管理するときに効果を生むもので、個人がPCを買わずにすませるものではない。どこかが個人向けにサービスを始めるかもしれないが、それを使ったからといってお得になる、とは限らない。

2つ目は「レスポンスがローカルPCと同じになることはない」という点だ。文字をガンガンタイプして文書作成するような用途だと、やはりローカルなPCの方が遅延は小さく、快適になるだろう。

クラウドゲーミングにおいても、究極的な快適さではローカルのゲーム機やPCにかなわない。だが「どこでもできる」「どれでもできる」「手軽にできる」メリットはあり、双方が価値を分け合うことになると予想できる。

クラウドPCについても、自分でPCを管理できてゴリゴリ作業をする人はローカルなPCに勝てないだろう。だが、管理の簡単さやどのデバイスでもできる、というメリットは、ローカルPCと違う価値を持つ。

PCは色々なことができるが、環境を維持するのにPCの知識が必須で時間もかかる、という欠点もある。また、クラウドPCを使うと簡単に「元に戻せる」という利点がある。例えば「新しいPCを買ったが、古いOSでしか動かない業務用ソフトを使う」などのシーンでは、クラウドPCの価値が生きてくるだろうし、開発者のテスト環境としてもいい。企業の開発者だけでなく、個人開発者向けの提供もあっていいんじゃないか、と思ってはいる。

また、1つの企業で働くのでなく、複数の企業から仕事を請け負って作業する場合、クラウドPCで相手の企業との業務を行なう……というパターンもありうる。

前出のように「在宅ワーク」が増えてそれに企業が対応するには、クラウドPCのような存在が必要になってくる。マイクロソフトとしては、そうした新しい働き方への対応、という意味合いもあって提供したようだ。

これで個人向けPCがなくなるとは思わないが、「PCを使って仕事をしている」ときにどこに演算主体やストレージがあるのか、という点は多様化する。マイクロソフトと共にパートナーがクラウドPCを提供する可能性もあるだろう。

そういうことを考えても、「今の時代だから出てきた」のがWindows 365、と考えることはできそうだ。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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