西田宗千佳のイマトミライ

第57回

iOS 14から始まるスマホの先の競争。“リアル”拡大するアプリ経済圏

iOS 14の新機能一覧。例年通り多数の新機能があるが、今年は特に変化が大きく感じる

6月22日深夜から26日まで、アップルは年次開発者イベント「WWDC」を、オンラインで開催した。

過去のWWDCは秘密主義で、デベロッパー契約をした人にしか開発情報が公開されず、その情報を公開の場で話すことにも制約があった。だが、数年前から方針は変わった。WWDCでのセッションビデオはすぐにネット上でオープンに公開され、誰もが視聴できる。開発者も内容についてオープンに議論ができる(ただし、同時に公開されるOSなどのベータ版については、あくまで開発用。製品版のレビューのように「それで機能紹介をする」のは契約上NGである。今後7月に登場予定の「パブリックベータ」では、アップルの許諾に基づき一足先に機能を紹介する媒体も出てくるだろう)。

今回オンライン化されたWWDCは、そうした数年間の変化を受けてのものであり、非常にスムーズな移行が行なわれた。

今年のWWDC 20は特に話題が多かった。ニュースとしては「MacのCPUがIntel製からApple独自のものに変わる」という点が目立ったが、多くの人に影響を与える、という意味では「iOS 14」による進化のほうが大きいのではないか、とも思う。

今回はWWDCの発表から、iOS 14の進化がもつ意味を考えてみたい。

アップル・WWDC基調講演を「5つのキーワード」で解説する

iOSの見た目を大きく変える「ウィジェット」の進化

「日常的に使うiOSの見た目が変わった」という意味で、iOS 14は、フラットデザインが採用された「iOS 7」(2013年リリース)以来の大きな変更、といっていいのではないか、と筆者は思っている。

一番わかりやすいのは、「ウィジェット」の機能が大幅に強化され、ホーム画面の好きなところに配置できるようになったことだ。

iOS 14では「ウィジェット」の機能が大幅に進化。サイズを3段階に変え、ホーム画面などに配置できるようになる

ウィジェットにはアプリが扱う内容をシンプルにしたものが表示され、アプリを起動することなく「チラ見」できる。また、ウィジェットからのアプリ機能も可能だ。

iOS 14でもそのこと自体はこれまでと大きく変わっていないようだが、見せ方・見え方は大きく進化した。

従来iOSのウィジェットは、決まった場所(iOSの場合には、ホーム画面を右にスワイプすると出てくる)に、すべて同じサイズで表示されるだけだった。だがiOS 14では、サイズをS・M・Lの3つから選べるようになり、ホーム画面に、アプリアイコンとともに自由に並べられるようになった。ウィジェットを複数「スタック」して、スワイプで表示を切り替えながら使う……ということも可能になっている。

正直なところ、iOSでのウィジェットは今ひとつ活用されてこなかった。ワンアクションないと表示できなかったからだろう。今思えば、iPadOS 13でウィジェットがホーム画面の左に固定表示できるようになったのは、iOSにこうした変更が加えられる伏線だったのかもしれない。

iPadOS 13(現行バージョン)の画面。ホーム画面の左にウィジェットを常に置けるようになった。これは今思えば、iOS 14での進化の「布石」だったのかもしれない

ホーム画面に自由にウィジェットを配置する、という発想はAndroidが先に取り入れているもので、iOSとAndroidの大きな違い、となっていた。そういう意味では「iOSがAndroidの機能を取り込んだ」という言い方もできる。だが、それをいまさら指摘してもあまり意味がない。iOSとAndroidはライバルとして、お互いにいいところを取り込み合ってここまで進化してきたのだから。

決済の流れを変える「App Clips」とはなにか

では、なぜアップルは、この時期になってウィジェットを強化したのだろうか?

それはおそらく、「アプリの利用とダウンロードをさらに促進するため」だ。

そこに至る論理を解説するには、iOS 14のもつもうひとつの新機能「App Clips」を紹介してからのほうがいいだろう。

App Clips。小さなアプリを必要な時に、瞬時に呼び出すための仕組みだ

App Clipsは、IT業界では最近「ミニアプリ」として話題に上がることが多いソリューションのひとつ。簡単に言えば、「事前にアプリのインストールを求めず、必要になった時すぐに機能を呼び出す仕組み」といっていい。

例えば、行ったことのない場所でレンタル自転車を借りるとしよう。

今なら、アプリを使って自転車をアンロックして乗り捨てる、というタイプのサービスもある。だがそのサービスを使うには、当然のことながら「アプリのダウンロード」と「会員登録」が必要になる。この時点でハードルであり、「歩いても済むけどちょっと乗ってみようか」というレベルの顧客を逃すことになる。

だが、アプリのインストールが不要だったとしたらどうだろう? その場で1タップで入会や支払いが終わるなら? 移り気な消費者を捕まえやすくなる。App Clipsはそういう時に使う仕組みだ。ここでは自転車などのレンタルを題材にしたが、店舗での支払いにも有効なはずだ。

自転車やキックボードのレンタルを、その場ですぐに「会員登録から決済まで」行なえるのがApp Clipsの利点
店舗でのキャッシュレス支払いやクーポン利用などにも使える

App Clipsはアプリの一部の機能を切り出したようなもの。通常は「決済」の部分だけが切り出される。レストラン検索アプリでの「検索」「閲覧」の部分がなくなり、店にいくと「その店での決済」機能だけが使える……と思えばいい。通常のアプリは小さくても数十MB。今は100MBから200MBのものも珍しくない。だが、App Clipsはサイズを10MB以下にすることが定められているため、呼び出しは素早い。

では、AppStoreに頼らず、どうやってApp Clipsを呼び出すのか? 方法は主に3つある。

ひとつは、NFCを使うこと。NFCタグを店頭に置いておき、そこにタッチしてもらうとApp Clipsを呼び出す方法だ。

2つ目も同じような発想。NFCタグの代わりに「バーコード」を店舗に貼り、それを読み込んでもらう方法だ。一般的なQRコードを使ってもいいが、アップルがApp Clipsのために作った独自の円形バーコードもあり、こちらを使うと簡単な画像表示など、汎用QRコードよりもリッチなことができる。

円形のアップル独自バーコードを使い、App Clipsを呼び出すこともできる

3つ目は「ウェブ経由」。ウェブストアにボタンを埋め込み、そこからApp Clipsを呼び出す。リアルストアではなくオンラインストアで使うための方法だ。

どの方法も、タップやタッチなどのシンプルなアクションでアプリの機能・決済を呼び出すための仕組みになっている。

「アプリ経済圏拡大」こそがアップルの狙い

アップルがApp Clipsを準備した理由はシンプルだ。「アプリをインストールしてもらうハードルの高さをなんとかする」ということだ。

スマホは定着し、アプリを生活の中で生かす、ビジネスの基盤にする発想も当たり前のものになった。だが、「アプリを入れることや探すこと」は、過去と違ってエンターテインメント性を持ちづらくなった。要は定番アプリ以外をなかなかインストールしてもらいづらくなったのだ。

しかし、定番アプリのビジネス以外を拡大するには、結局アプリを使ってもらう必要がある。

アップルはWWDCがスタートする前に、「AppStore経済圏」についてのリリースを発表している。

Apple、App Store経済圏を通じて、2019年には5000億ドル以上の規模の経済活動を促進

このリリースは、独立系のコンサルタントファームによる市場分析をもとにしている。筆者にはその市場規模分析には若干の疑問もあるのだが、レポートの意味するところには同意する。アプリから生み出される市場とは、デジタルコンテンツなどの「アプリストアから直接生み出される収益」だけでなく、アプリを店舗やライドシェアなどで使うことによる、「リアル市場での経済活動をアプリ経由で活性化する」ことがより大きな経済価値をもつのだ。

前出のレポートより抜粋。アプリからの直接収入である「Digital Goods and Services」より、店舗やECでのビジネスに関わる「Physical Goods and Services」の金額のほうがずっと大きい点に注目

そう考えると、アプリのダウンロード数が増えないことは、今後のスマホビジネスの拡大に大きな影響をもつ。

実のところ、App Clipsと同じようなことはGoogleも2017年に「Android Instant Apps」という仕組みで実現している。ただし、決して上手くいっているとは言えない。App Clipsが成功するという確証もない。

だが一方で、中国市場では「WeChat」や「Alipay」がミニアプリを展開し、日常的に利用されている。アプリ経由でのビジネス市場が件のレポートで大きなものと算定されているのは、そうした背景も影響しているだろう。

アップルとして今の課題は、iPhoneの売り上げを伸ばすことだけではない。アプリの利用とそこから生まれる経済圏の拡大が急務であり、その結果としてアップル製品を消費者が支持してくれる、という図式が出来上がることだろう。

今回発表された新しい機能は、最初に説明した「ウィジェット」も含め、アプリを開発するネイティブコードで実装する。特にウィジェットの場合には、iOSはもちろんiPadOSやmacOSでも使える。そして、Appleシリコンを使ったMacからは、iOSやiPadOSのアプリをそのまま使えて、Mac用のAppStoreからiOS・iPadOS用アプリもダウンロード可能になる。

すなわち、今回発表された施策は、「iOSを中心に出来上がったアプリ経済圏をいかに拡大するか」という視点で見ると、一貫性が高いことがわかる。iOS 14の改善も、使いやすさとアプリの利用拡大を両立する方向性だ。

今回のWWDCでハードウェアの新製品が発表されたかったことを残念に思う人もいそうだが、筆者はそれが自然だし、特に今回は「ハードなし」で良かったと思う。

開発者イベントなのだから、いかに「開発者にアプリを開発するモチベーションを与えるか」が重要で、そのモチベーションの軸になるのが、「アプリビジネスはもっとお金になる」という経済性なのだ。

その視点で見ると、iOS 14の機能やAppleシリコンMacの発表が、また違った目で見えてくるのではないだろうか。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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