小寺信良のくらしDX

第13回

自作キーボードブームの背景にあるDX

現在も市販されているDaVinci Resolve用Editor Keyboardは、リニア編集機の面影を残している

キーボードを自作するという行為は、2018年頃にはまだ知る人ぞ知るといった格好だったが、多くの人がその存在を知ることになったのは、2020年7月にTBS「マツコの知らない世界」で自作キーボードが取り上げられてからではないだろうか。そもそも人気の番組であり、テレビに取り上げられるというのは少なからず、世間に影響を与えるものである。

仕事がら、1日中PCを使っているという人も少なくないと思うが、その入力インターフェースはキーボードと、マウスなどのポインティングデバイスの2種類しかない。この利用バランスは様々で、ライターやプログラマーがキーボードの利用率が高いのは言うまでもないが、デザイナー系の人もツールとしてペンなどを使用する一方、ショートカットで作業の効率化を図っていることだろう。

キーボードをコントローラにするという歴史は非常に長く、筆者が初めてテレビ業界に入った1983年には、すでにビデオ編集機のコントローラはキーボード型になって数年が経過していた。編集機そのものがハードウェアベースから、UNIXコンピュータにVTRインターフェースを接続したソフトウェアベースのものに変わったからである。

これは、OA(Office Automation)と呼ばれた時代とリンクする。キーボードは元々タイプライターの配列を参考にして作られたものであり、アルファベット部分はほぼQWERTY配列で統一されていたものの、それ以外の部分はメーカーによって自由に設計されていた。このため、メーカーが変わると入力方法を覚え直しといったことが起こっていた。

これでは使いづらいということで、ANSI、ISO、JISといった規格が整備され、広く普及した。ファンクションキーや10キーの有無でキーの総数に多少の違いはあるものの、現在市販のキーボードはほとんどこれになっている。

OA時代が幕を開けた70年代には、すでにホワイトカラーはペーパーレスになると言われていたが、実際には紙情報を量産するためのOAであった。仕事としてはコンピュータは使うものの、大半は帳票や伝票を回すという時代が長く続いた…というか未だに続いているところが多く、今さらながらDXなどと言われているわけである。

つまり仕事の中心が紙であれば、規格品のキーボードは1日数時間使う程度で、特にこの配列でも問題にならなかった。ところがDX化が進み、コンピュータ内で仕事が完結するようになると、1日10時間近くもキーボードを打ちっぱなしというような状況になる。これにより、量産型の廉価なキーボードでは指が腱鞘炎になる、手首の角度に負荷がかかる、肩が巻き肩になるなど、健康上の問題が顕在化してきた。

自分の用途にあったキーボードを探しても、所詮はスイッチのタイプが違う程度で、配列は変わらない。人間工学に基づいたエルゴノミクスキーボードの歴史もそれなりに長いが、一般にかなり高価であり、広く普及するには至らなかった。

エルゴノミクスキーボードは高価で、一般には普及しなかった

個性や多様化とは微妙に異なるトレンド

自作キーボードとして販売されているもののトレンドを調べてみると、キーの数を最小限に絞ったもの、かつ左右分離型が中心となっている。矢印キーがないものは、PFUのHHKBなどが存在したが、さらにはFnキーどころか、上部に並んだ数字キーすらないものも登場した。

最小限のキーで構成される自作キーボードの例

ここまで減らせるのは、「自分には必要ない」からである。例えばCapsLockやPauseキーにいくら歴史的な背景があろうと、「使わないキーはあっても無駄」ということに、改めて意識的になったという事だろう。これは個性というよりも、それがあることでミスを誘発するというデメリットがあるからである。

また左右分離型になっているのは、エルゴノミクスキーボードの例もあるように、人間の手の構造に合わせたからである。一般的なキーボードでは、左右の手首を手錠でもかけられたような距離に近づける必要があり、手首の曲がりが不自然になる。自然に両手を前に出せば、ほぼ体の幅と同じぐらいの間隔になるわけで、これにキーボードを合わせると、必然的に左右が空く事になる。

こうした特殊キーボードは、量産しても意味がない。個人個人がそれぞれの用途に最適化された体験を求めるからで、量産品に自分を合わせていた時代とは違う。したがってパーツのみの組み立てキットになっているのが妥当、という事になる。

このようなパーソナライズされた入力装置は、まだまだ発展途上だ。今は所詮平たい基盤の上にスイッチを並べるという、その配列に苦心している状態だ。本来ならば手の指にあわせて平面ではなくカーブしているのが妥当なので、立体化というフェーズがこのあと訪れるだろう。両手にはめるグローブのような格好になる事も考えられる。

また腕をずっと前に出し続けるというのも不自然で、椅子の肘掛けの先端にキーが備えてあるような入力装置のほうが妥当であろう。試しにそのようなスタイルで左右分離型のキーボードを配置してみたが、それなりに快適に入力できるようである。

さらに言えば、コンピュータへの入力に文字1つずつをアサインしたスイッチを手で入力するのは時代遅れ…ではあるのだが、これは大きく2つに別れるだろう。純粋にキーボードが好きだという人もあり、この層はやはり多くのスイッチを並べたものを発展させていく。

一方でスイッチの羅列に頼らない、新しいインターフェースを模索する作る人達も当然いるだろう。すでにAIを使うなど何らかの方法は模索されているかもしれないが、新しいものは常に進化し続けてしまうため、その在り方が固定できないという弱点がある。固定できなければ量産出来ず、普及できない。

これに対しキーボードは、一度は固定化されて普及したことで多くの人に必需品となっており、今はその状態を徐々に解体していっている途中である。個人のパフォーマンスを上げるために、規格化されたものが上手く使えるよう時間を費やしてトレーニングするより、自分の仕事や手癖などに最適化されたものを使った方が早い。生活のDXとは、新しい体験や価値の創造も含まれるわけで、その概念に合致する。それに加えて業務の効率化や生産性向上といった付加価値がプラスされるわけだから、仕事上のDX化とも繋がっていく。

自作キーボードとは、一部の人の趣味が拡がったというより、ツールのカスタマイズを可能にする環境が長い時間かかって整備されたものだ。こうして多くのトライアルがなされた結果がまた収斂し、再び規格化・量産化へ進むとも考えられる。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。