ニュース

JAXA、宇宙生活の“ヘルスケア”は地上でも有効。ソリューション開発へ

ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン(LINK-J)は12月16日、「宇宙×ヘルスケア 宇宙での課題を起点としたヘルスケアビジネスの可能性+JAXA新規プログラム紹介」と題したトークイベントを行なった。

LINK-Jはライフサイエンス・イノベーションを産官学連携で促進することを目的として、三井不動産らが2016年に設立した団体。日本橋エリアを拠点に、ライフサイエンス領域でのオープン・イノベーションを促進し、新産業創造を支援する活動を行なっている。

「宇宙と地上」双方の新たなサービスプロダクト創出へ

JAXA 新事業促進部 J-SPARCプロデューサー 中島由美氏

はじめに宇宙航空研究開発機構(JAXA) 新事業促進部 J-SPARCプロデューサーの中島由美氏が、宇宙生活の課題から宇宙と地上双方の暮らしをより良くするビジネス共創プラットフォーム「THINK SPACE LIFE」について紹介した。

THINK SPACE LIFEプラットフォームとは、JAXAと民間の取り組みを促進することを目的としているJAXA宇宙イノベーションパートナーシップ(J-SPARC)の事業化促進の一環として始まった取り組みで、宇宙生活の課題から宇宙と地上双方の暮らしをより良くする研究開発や新規事業創出を目指すインキュベーション機能やコミュニティを持つ、事業共創プラットフォーム。

国際宇宙ステーション(ISS)生活用品アイデア募集や、既存の共同研究・実証の仕組み、様々な宇宙ビジネス参画機会と有機的に連携、宇宙に暮らす時代に、暮らし・ヘルスケア分野が宇宙と地上双方の新たな市場へ発展するよう後押しをすることを目標としている。

実業家・前澤友作氏の宇宙旅行に代表されるように、2021年は商業宇宙利用の幕開けとも言われている。宇宙開発についても、地球低軌道を周回する国際宇宙ステーションから、より遠距離の月や火星への有人探査が本格的に始まろうとしている。そうなると、より長期間、人が宇宙で過ごすことになる。すると新しい衣食住のマーケットが生まれる。中島氏は「宇宙はかけはなれた場所ではない。人が暮らすことになるので生活に必要なものは同じ。それについて考えるのが『THINK SPACE LIFE』」と取り組みを紹介した。宇宙生活の課題やニーズをもとに新しい製品を生み出し、宇宙と地上、双方の課題を解決し、暮らしをアップデートすることを目指す。

ではどんな課題があるのか。宇宙飛行士へヒアリングした「Space Life Story Book」はWebで公開中だ。中身は10個のカテゴリーと課題に分類されている。たとえばパーソナルケアのなかでは、宇宙では水が貴重なので洗髪洗顔、歯磨きなどを超節水で行なう必要があるといった課題が挙げられている。

どうしてこのような課題に注目しないとならないのか。中島氏は、宇宙の閉鎖隔離環境という極限の生活に着目することで、「当たり前の生活」にも存在する様々な課題や制約、困難、欲求に対しても「気づき」が得られるからだと述べた。その気づきを重視することで、新しい製品が生まれるのではないかというわけだ。

たとえば宇宙では筋力が衰える課題がある。これらは運動不足やフレイルと類似している。水や生活物資の不足については災害時にも通じる部分がある。「THINK SPACE LIFE」プラットフォームでは、それら共通課題を見つけ出し、宇宙と地上双方で用いることができる「デュアルユーティライゼーション」製品・サービスを生み出し、宇宙と地上双方で暮らしのQoLをあげることを目指している。

具体的には、インキュベーションパートナーと連携して、コミュニティ活動を行ない、参加企業を応援していると述べた。現在、30社79名が参加しており、月に1度の勉強会そのほかが行なわれている。具体的なプロダクト創出例としては、JAXAは昨年から宇宙飛行士が使う生活用品アイデアをWebで募集しており、これまでに9件、宇宙用の靴下、水なしで使える洗髪シート、口腔ケア製品、ウェットワイパーなどが採用されており、あとはISSへ向かうのを待っている状況だという。

宇宙生活の実態とヘルスケアの課題

パネルディスカッションの様子

続けて、宇宙生活の実態とヘルスケアの課題について、パネルディスカッションが行なわれた。テーマは、宇宙に行く前、宇宙滞在中、そして地球へ帰還後の一連の流れにおいて、1)宇宙生活はどのようなものか、2)そこでのヘルスケアの課題は何か、3)ビジネス展開の可能性はあるか、など。

登壇者はJAXA 有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット 宇宙飛行士健康管理グループ 主任医長の樋口勝嗣氏、デロイトトーマツコンサルティング 執行役員の西上慎司氏。モデレーターは有人宇宙システム(JAMSS)有人宇宙技術部 副主任の山村侑平氏。

JAMSSは運用・安全開発を支援する会社で、宇宙飛行士のメンタルヘルス管理業務も行なっていることから、現在、新しいヘルスケア商品を生み出せないかと検討中だという。JAXAの樋口氏は「フライトサージャン」として宇宙飛行士の健康管理を行なっている。デロイトトーマツコンサルティングの西上氏はライフサイエンス業界のコンサルを行なっている。

ディスカッションでは最初に、山村氏が論点を整理した。宇宙でのヘルスケアのポイントは二つ。宇宙環境特有の生理変化への対応と、普段はあまり意識しないような健康上のリスクの顕在化だ。宇宙には病院はない。緊急搬送はできないし、感染症にも気をつけなければならない。地上に戻ったときの生理的対応も重要だ。

では健康管理はどうしているのか。JAXA樋口氏は「現在は様々な急変リスクがない人を選んでいる。この状態が続くのであれば超健康な人しか宇宙に行けない。ある程度軌道上で対応ができるのであればリスクがある人でも行けるようになる」と述べた。より多くの人が宇宙に行けるのであれば、リスクを下げるか、リスクが顕在化したときに対応できるようにしなければならない。

しかし、病気になる前は、人は疾病に対する意識、健康リテラシーはそんなに高くないのが一般的だ。デロイトトーマツの西上氏もその点を指摘し「今後はウェルビーイングの文脈、未病の状況への対応と理解が必要。あとはデータで繋がる社会の文脈が重要」と述べた。

潜在ニーズを探り健康維持のモチベーションを上げる

デロイトトーマツコンサルティング 執行役員 西上慎司氏

飛行前の予防の観点での難しさは他にもある。樋口氏はフライトがアサインされたあと、実際に飛行するまでの期間が一年、二年と長期に及ぶことを紹介。その間のモチベーション維持が難しいと述べた。この課題については地上での暮らしでも同様で、JAMSS山村氏は「未病の状態で長くモチベーションを維持するというのはしんどい。健康診断があるからそこに向かって節制しようとかはあるけど気持ちが下がってしまうのはよくあること」と述べて、ウェルビーイングの領域でどんな取り組みがあるのか、西上氏に話を振った。

西上氏は「実証実験も含めれば多くの取り組みがなされている。製薬会社や医療機器だけでなく、通信そのほかのIT企業など様々なプレイヤーがヘルスケアマーケットに入ってきている。だが確立されたビジネスモデルはまだできてない。新しいモデルが確立するまではいろんなものが作られて壊される状況が続くだろう」と概況を紹介。そして、よく議論される課題として、ヘルスケアデータの利活用が難しい点をあげた。

また、プロダクトアウト、ソリューションアウトのものが多く「作ったけれど使われないものが多い。いろんなサービスがあるが利用率が悪いものが多い」と指摘した。「ユーザーの顕在ニーズを満たすよりも、潜在ニーズをいかに見つけながら満たすかが重要」だという。JAMSSの山村氏も、データ取得において本人に負担がかかることはできるだけ避けるべきだと述べた。

また、西上氏らはパフォーマンスの向上を探るためにレーサーの脳を調べるという取り組みも行なっているそうで、レーサーにヒアリングすると、パフォーマンス向上の準備においては肉体的ではなくメンタルな話をされ、想像と違うインプットをもらったと述べた。

飛行中・飛行後の健康管理、生理変化への対応

JAXA 有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット 宇宙飛行士健康管理グループ 主任医長 樋口勝嗣氏

宇宙飛行士の打ち上げ後の体調変化を見ると、最初は宇宙酔いのようなものが発生したり、体液の変動が起こり、それに伴って目の変化や尿路結石などのリスクが生じることが知られている。

樋口氏は「職業飛行士は週単位の課題に着目することが多い。1950年代、60年代は短期間の滞在時の課題が重視されていたが、今は長期滞在。宇宙酔いはある程度、薬で落ち着けることができる。完全に薬でおさえられなくても地上でのトレーニングで減らすなど、薬だけでなくプラスアルファが必要」と述べた。宇宙酔いについては、これまでの宇宙飛行士は微小重力に慣れてくると減ってくるが、宇宙へ行く人が増えてくると、なかにはどれだけ頑張っても慣れない人は出てくるかもしれないという。

西上氏は「万人が一つの薬やソリューションで体調がよくなるわけではないだろう。数段階のソリューションが生まれてくると、より安全・安心に宇宙に行けるようになるのではないか。ビジネス観点で見ると、生活者ジャーニーのように、準備から含めてジャーニーで見たときにどんなケアをするといいのかと考えていくと新しい発想が生まれるのではないか」とコメントした。

山村氏は「リスクとして対応しないといけないものと、快適に過ごすためのものはそれぞれで考えていかないといけない」と述べた。それに対して西上氏は「治療から未病、未病からウェルビーイングへ、超早期発見ができると良いという文脈の議論は増えている。すごく早い段階で課題を見つけられれば、地球環境のソリューションにも戻せるのではないか」と答えた。

樋口氏は、南極での事例として、女性医師のなかに自分で乳がんを見つけた人がいるという例を紹介。「地上でがんの発症、特に前がん段階の病変が軌道上でも分かれば『早めに帰そう』という判断ができるようになる。地上でも宇宙でもありがたいのではないか」と述べた。これらの技術は長期滞在や惑星探査でも求められるようになる。

宇宙ステーションの民営化と民間宇宙旅行の健康管理

有人宇宙システム(JAMSS) 有人宇宙技術部 副主任 山村侑平氏

前述のように、低軌道の宇宙時代がやってきている。今後、運用コストは削減され、効率化が必要になる。また、幅広い年齢層にも対応しなければならないと考えられる。

人数も変化してくる。樋口氏は「ISSは滞在人数10人くらい。人数が増えたとしても場所としては一箇所でせいぜい数十人レベルなら、ISSとあまり変わらない。しかし『宇宙ホテル』のように100人以上規模の施設が出てきたときに、現在の医学運用でいいのか。現在は地上で管制しているだけ。100人分のデータを見ることは難しい。だったら宇宙に医師が常駐して軌道上で定期検査はしてもらったほうがいい。運用自体が変わってくると思う。医学コストも常に考えなければならない。保険の問題も出てくるだろう」と述べた。

西上氏は「宇宙産業は、ある試算では2040年に100兆円を超えるとも言われている」と市場規模の大きさを紹介。そして「過去になかったものを作っていくことになるので、白いキャンパスに自由にビジネスモデルを描けるチャンスでもある。いっぽう枠組みのないところでビジネスモデルを作ることは日本企業は苦手。ルールメイキング戦略が必要。どういうルールでやっていくかを先にうまく作っていくことも工夫したほうがいい。一社だけではなく大きな産業界全体でやっていくことだと思う。枠組みを作った上でいかにニーズを満たすことが重要」と述べた。

山村氏は「この領域は新しい。単独だけでなく連携することが重要。THINK SPACE LIFEのようなプラットフォームをうまく活用してほしい」と締めくくった。

アクセラレータープログラムで事業テーマを募集中

JAXA「THINK SPACE LIFE」では現在、新しいアクセラレータープログラム開始している。資生堂、ニトリ、JT、3COINS、JAMSS、 ワコールの6社と、各社一つずつ、合計6つのテーマで事業テーマを募集している。エントリー締め切りは2022年2月13日。応募資格は法人であること。

美容や遠隔健康管理など各社の事業領域と宇宙領域の課題ニーズの接点を見つけ出し、各社一つずつのテーマを募集している。各社で選定を行ない、共同で、新しい宇宙と地上双方のサービスプロダクトを作ることを目指す。まずは地上からはじめ、宇宙で活用する。今後、説明会やワークショップなどを開催する。

中島氏は「宇宙に行く前、行っているとき、帰ってきたあとなど様々なシーンで連携できるところはあると思う。参画企業と一緒に頑張っていきたい」と語った。