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英語は“ブロークン”で十分。同時通訳者が教える英語力の本質

英語を学びたいと考えている人、仕事で英会話スキルを必要としている人は多いのではないでしょうか。その目標として「流暢に英語をしゃべる人」を掲げていませんか? 同時通訳者の田中慶子氏は、ネイティブを目指すことよりも、自分の考えや思いを「自分の言葉」で伝えられるようになることが大切だといいます。今求められている、実践的な英会話スキルとは、どのようなものなのでしょうか。

この記事はインプレス刊・田中慶子著『新しい英語力の教室 同時通訳者が教える本当に使える英語術』の一部を編集・転載しています(編集部)

あなたが身につけたい「英語力」とは何ですか?

英語の苦手な人がコミュニケーションツールとしての英語を習得する上で、まずやるべきなのは、「英語ができる」状態を再定義することだと私は思います。国際共通語としての英語を習得する際に目指すべき「英語ができる」状態は、「母国語である日本語と同じレベルで英語が使えるようになる」ということではありません。

通訳者として20年以上、世界のさまざまな人が集まる場で仕事をしてきて私が感じているのは、日本人の英語の知識は世界的に見ても非常に高いということです。日本人のほとんどが学校で英語を履修していますし、社会人になってからも何らかの形で英語を学び続ける人はたくさんいます。それなのに英語に苦手意識を持つ日本人が多いのは、なぜなのでしょうか?

英語に限ったことではありませんが、学んだ知識をスキルにするには経験が必要です。知識は実際に使わなければ「使えるもの」にはならないのです。日本人の多くが英語を学んでいるにも関わらず使いこなせないのは、「使う経験」が圧倒的に不足していることが原因です。知識をスキルにできていないのです。

「学んだ英語」を「使える英語」にしましょう。そして使うために、まずは「英語ができる」ということを再定義して、少しハードルを下げてみましょう。

国際共通語は英語ではなくブロークンイングリッシュ

「我々の共通言語は、イングリッシュではなくブロークンイングリッシュだ」

これは、私が通訳をさせていただいている世界経済フォーラムの会議で聞く言葉です。世界経済フォーラムとは、政界、財界、市民団体など、各分野のトップリーダーが年初にスイスのダボスに集まり、その年の課題を話し合う「ダボス会議」を主催することでも知られている国際機関です。

さまざまな人種や国籍、バックグラウンドを持つ人が集まる場での共通言語は英語です。しかし、そこで注目されるのは「いかに美しい英語を話すか」ではありません。重視されるのはあくまで話の中身です。

差し迫った課題について真剣な議論が交わされる場では、話者が文法的に正しい英語を使っているか、ネイティブスピーカーのような美しい発音で流暢に話せるかなどということを気にしている人はいません。彼らの関心事は、今自分たちが直面している課題を解決するために知恵を出し合うことです。相手の英語レベルを気にしている余裕はないのです。

世界の知恵を集める場には、英語が母国語ではない人もたくさん参加しています。そのため、「共通言語」として英語は使うけれど、ネイティブスピーカーのような完璧さを求めるのではなく、母国語ではない言語で深刻な課題を協議する難しさを尊重し合い、理解を深めようという姿勢で、互いの「英語」を聞いています。それを表しているのが冒頭の「我々の共通言語はイングリッシュではなくブロークンイングリッシュだ」という言葉です。

昨今、通訳者として仕事をする中で、英語に期待されていることが変わってきていると感じることがよくあります。20年以上前に私が通訳者として働き始めた頃も、英語は国際的な場の共通言語として使われ、国際的に活躍するには英語が必要であると認識されていました。そして、そこで求められていた「英語力」は、「いかにネイティブスピーカーに近づくか」ということでした。

「国際的に活躍したいのであれば英語は不可欠である。そしてその英語はネイティブのように美しく流暢で完璧なものを目指すべきだ」。当時は、英語を学ぶ人からも、英語ネイティブからも、そんな雰囲気が感じられました。

しかし今は違います。中国をはじめとする非英語圏の国々が台頭していることも影響しているのだと思いますが、英語はあくまでコミュニケーションのツールであり、ネイティブスピーカーのような完璧さを求めるのではなく、互いに理解するための実用的な手段であると考えるほうが合理的だという認識が広がっています。英語を母国語とする人たちが「がんばって英語を学んで私たちに追いつきなさい」と非英語ネイティブを上から目線で見ていられる時代は終わりました。

目指すべきは意思疎通のための英語です。たとえブロークンであっても互いに理解し合う姿勢で成り立つことが前提なのです。

多様性の中での英語

昨今、“Diversity and Inclusion”(多様性と包括)という言葉がよく聞かれます。この言葉が示す、「多様性を重視し誰も取り残されることがあってはならない」という価値観は世界的に広がっています。そんな中、もし英語が流暢に話せない人をあからさまにバカにするような態度をとったり、相手を無視したりする人がいたら、「多様性に理解がない教養のない人」であるという印象を与えかねません。相手がつたない英語を話していても、「聞く姿勢」を示すことが求められているのです。

今、国際共通語として身につけるべき英語力は「ネイティブスピーカーのようにしゃべること」ではなく、たとえなまりがあっても、正しい文法でなくても、自分の考えや思いを「自分の言葉」で伝えることです。英語を母国語としない人が国際的な場で受け入れられ、世界で活躍するチャンスがこれまでになく広がっています。

伝えるべき「中身」があり、あなたが伝えたいと思うことに相手が価値を見いだしてくれれば、たとえネイティブスピーカーのように流暢に話せなくても「聞く姿勢」を持ってもらえるのです。

グローバル企業の「英語レベル」は下がっている?

長年、グローバル企業で働く私の友人が、過去に比べて社内の「英語のレベルは下がっている」と言っていました。以前であれば、英語がうまい人やネイティブスピーカーのように話せる人が重用されていましたが、昨今は、世界中から優秀な人材を採用しようとすると、英語のレベルを基準にしてはいられない事情もあるようです。企業が世界中から才能ある人材を集めようとしてスキルを重視して採用すると、全体的な「英語のレベル」が下がることは許容せざるを得ないのでしょう。

時代の変化とともに、ネイティブでない英語が受容され、非英語ネイティブが世界を舞台に活躍できる機会はかつてないほど広がっています。

優秀な人材を確保するための競争は国境を超えています。英語のハンディがあっても世界で活躍するチャンスは広がっているのです。

ネイティブスピーカーを目指す必要はない

「講師は全員ネイティブスピーカー」「ネイティブみたいに話せるようになる!」など、ちまたには「ネイティブ」をうたい文句にした英語教材や英会話スクールがあふれています。

もちろん、ネイティブスピーカーを目指して英語を学ぶのは悪いことではありません。ただ、自分の英語がネイティブスピーカーのように流暢でないことに引け目を感じてしまったり、英語を話すことに躊躇してしまったりするのは、何とも残念なことだと私は思います。

「ネイティブ」として自然に言葉が自分の中に染みつき、扱えるようになるには相当な時間がかかるであろうことを考えると、ネイティブスピーカーを目指すのは、私はあまり効率的ではないと感じます。また、言葉というのはその人の人生に密接に関係しています。日本語でも、育った環境や職業などによって話し方は違います。日本人は皆、日本語のネイティブだからといって、誰もが同じような話し方をするわけではありません。

英語も同じです。例えば、アメリカとイギリスでは英語の言葉遣いも発音も違いますし、年齢や立場などによっても話し方は変わります。話し方というのは、その人の個性の大切な一部であることを考えれば当然のことです。

そう考えると、むやみにネイティブスピーカーを目指すのは、まるで自分でない何かになろうとしているようにも見えてしまいます。ネイティブスピーカーのまねをして、よく意味もわからずスラングを使ったりする人を時々見かけますが、なんとなく寒々しい感じがしてしまうのは、言葉から「その人らしさ」を感じられないせいかもしれません。

やたらとネイティブスピーカーのまねをしたり目指したりするより、「伝えること」や「相手を理解すること」を大切にしながら、コミュニケーションのツールとしての英語力を鍛えるほうが効率的だと思いませんか。

非ネイティブの英語は「チャーミング」

これは通訳者としての私の個人的な経験から感じることですが、さまざまな国籍やバックグラウンドの人たちが集まる場では、英語のなまりを「チャーミング」だと受けとるネイティブスピーカーも多いです。

英語ネイティブの多くは、母国語である英語以外の言葉を話しません。彼らにとって、外国語である英語を学んで使いこなしている人というのは、言葉のハンディを補って余る価値を提供できる人材であり、また大変な努力をして外国語を身につけた人でもあるからです。Diversity and Inclusionの広がりを背景に、世の中が多様性を尊重する流れになっていることに加え、母国語ではない言語を使いこなしている人に対する尊敬の気持ちからも、英語のネイティブスピーカーでない人のなまりを「チャーミング」と受けとる英語ネイティブが増えているように感じます。

ネイティブ信仰は捨てましょう。言葉は人生に密接に関係しています。なまりも個性、あなたの魅力の一部になるのです。

TOEIC の点数は高いのに英語が話せない理由

「TOEICや英語の試験ではよい点をとれたのに、全然話せず自信も持てません」という相談を受けることがあります。こういう悩みを抱えるのは往々にして真面目な方ばかりです。真面目で優秀であるがゆえに、何とか状況を克服しようと、さらに一生懸命に勉強してこれまで以上に高いスコアを獲得するのですが、一向に自信が持てるようになりません。そしてまた、悩みのループに入ってしまうのです。なぜでしょうか。

厳しいことを言うようですが、テストで高得点をとったからといって英語が話せるようにならないのは当然です。テストの得点は、その人がどれだけの知識を持っているかということの評価でしかありません。どれだけ使いこなせるかの評価ではないのです。

野球選手を目指す人が、一生懸命に本を読んでボールの投げ方やバットの振り方を学んだからといって、よい選手になれるとは限りません。英語も同じです。

文法や語彙など、知識はもちろん大切です。ただ、知識=スキルではないのです。知識はスキルの基礎にはなりますが、実践で「使い方」を磨くための経験を伴わなければ、スキルにはなり得ません。

そのため、勉強してTOEICで高得点をとったからといって、実際に使ったことがなければ英語が話せないのはある意味当然のことなのです。

英語のコミュニケーションが得意な人の共通点

その一方で、テストのスコアはそれほど高くもないのに、英語のコミュニケーションに長けている人もいます。一体何が違うのでしょう。その答えは、「経験」そして「場数」です。

英語のコミュニケーションがうまい人に共通しているのは、(テストの点数に関係なく)実際に英語を使っているということです。使う経験を積むことで「使い方」を習得し、使いこなせるようになります。たとえ英語の知識が限定的であっても、それを最大限に生かして「使いこなす術」を習得しています。実践を繰り返すことで「使い方」がうまくなり、「テストのスコアはそれほど高くないのに英語コミュニケーションに長けている」状態になれるのです。

逆もまた然りです。どんなに一生懸命に勉強してテストで高いスコアをとっても、経験が伴わなければ使えるようにはなりません。以前、TOEICの点数はよいのに英語に自信が持てないという悩みを抱えている人に、「どうしたら自信が持てるようになると思いますか?」と聞いてみたところ、「もっとよい点をとること」という、笑い話のような答えが返ってきたことがありました。

すでによい点がとれているのに自信が持てないと悩んでいる人が、もっとよい点をとったからといって自信が持てるようになるものでしょうか。冷静に考えると答えはわかりそうなものですが、こんな悩みのループから抜け出せない人は案外多いのです。

知識は使わなければスキルにはなりません。テストでよいスコアはとれても、使い方を習得しなければ「スキル」ではないのです。

「英語ができる」に対する誤解

言葉は生き物といわれたりもしますが、生きているものを扱うのと同じように、言語を学ぶことにも固定化された完成形や終着点があるわけではありません。ましてや、テストで100点満点をとったからといって、その人の英語が「完璧」であるというようなことでもありません。

英語について誤解されているのではないかと思うことがあります。それは、「英語ができる」ということは日本語と同じ感覚で使えるようになることだと、多くの人が考えていることです。残念ながら、大人になってから学んだ言語が母国語と同じ感覚で扱えるようになることはほとんどありません。

しかし「英語ができる」ようになることは可能です。では「英語ができる」というのはどういうことなのでしょうか? その答えを知りたくて、英語を使って仕事や生活をしている日本人の方々にお話を聞いてみたことがあります。すると、おもしろい共通点が見えてきました。

実際に、英語を使って仕事や生活をしている彼らは「英語ができる人」だといえるでしょう。しかし、「どうやって英語ができるようになったのですか?」と聞いてみると、一様に「できるわけではないけれど、何とかやっている」というような主旨の言葉が返ってきます。さらにお話を聞いてみると、彼らは自分の英語について、日常的に使ってはいるけれど自信があるなどという状態にはほど遠く、英語は使いながら学び続けているということでした。

彼らは皆、「今の自分の英語力ではまだまだ不十分であることを痛感する。それを補うために学び続けている」というようなことを示し合わせたかのように言うのです。

話を聞いていて私が感じたのは、彼らの英語力が「足りない」のではなく、使っているからこそ、足りない部分に「気づくこと」ができているということでした。気づくから「何をすべきか」がわかり、実際に英語を使っているからこそ必要に迫られて学ぶのです。使うことと学ぶことが循環している状態こそが「英語ができる」ということなのだとわかります。

「必要に迫られて使っているうちに英語が身についた」という人は、あなたの周りにもいるのではないでしょうか。その人たちは、英語のネイティブスピーカーとなって「完璧な英語」を身につけているわけではありません。それでも英語を使って仕事を続けていたり、生活し続けられているということは、「その人にとって必要な英語」は身についているのです。

英語に完璧さを求めたり、母国語と同じレベルを期待したりしては、減点法でしか自分のことを見られません。するとどんどんつらくなってモチベーションは下がるばかりです。

完璧でなくても、母国語のレベルには及ばなくても、自分の目的を果たすために必要な英語を身につければよいのです。

求められているのは、完璧さではなく実用性です。使いながら学ぶサイクルを自らの手で作れることが「英語ができる」状態です。

「正しい英語」が「伝わる英語」ではない

通訳の仕事をしていると、感動する言葉や素晴らしいスピーチに出合うことがあります。感動して心に刻み込んでおきたいと思えるような言葉に出合えるこの仕事ができて本当に幸せだと感じる瞬間です。

そしておもしろいことに、これまで英語で聞いた「感動した話」を振り返ってみると、ダライ・ラマ14世など、話者は英語ネイティブの方ではなかったことも多いと気づきます。彼らは英語以外の言語を母国語としており、国際共通語として英語を話します。

英語ネイティブでない方の通訳をしていると、独特のなまりがあったり、文法も正確でなかったりすることもあり、訳す際は、文法や言葉の厳密な意味よりも、文脈から「意図」を汲みとることに注力するなどの工夫が必要です。

それでも、ダライ・ラマ14世が話すような素晴らしい言葉に触れるとき、通訳をしている私はもちろん、その場で話を聞いている人たちは誰も、彼らが母国語でない言語である英語を「どれくらいうまくしゃべれているのか」など気にしていません。話の中身があまりにも興味深く魅力的なので、何とかそのすべてを理解しようと、一心に聞いているのです。

聞き手にとって重要なのは、話の中身です。「正しい英語」で話しているからといって内容が魅力的になるわけではありません。そして、たとえ正しい英語でなくても、相手が「理解したい」と思えるような価値ある内容であれば、聞く姿勢を持ってもらえるのです。国際共通語としての英語の役割は、正しくあることよりも価値ある内容を伝えるためのツールであることなのです。

「学ぶ英語」から「使う英語」へ

自分の目的を果たすツールとしての英語を手に入れませんか?「学んだ英語」を「使える英語」にしませんか? 多様性が重視され、国際共通語としての実用的な英語が求められている今だからこそ、使える英語を身につける価値がこれまで以上にあるのです。学ぶための英語ではなく、使うための英語を目指しましょう。自分の夢を叶えるための英語を手に入れましょう。

田中慶子(たなか・けいこ)

愛知県出身。地元の県立高校を卒業後、劇団研究員、NPO活動を経てアメリカ最古の女子大であるマウント・ホリョーク大学を卒業(国際関係論専攻)。帰国後は衛星放送、外資系通信社、NPO勤務の後、フリーランスの同時通訳者に。天皇皇后両陛下、総理大臣、ダライ・ラマ、テイラー・スウィフト、ビル・ゲイツ、デビッド・ベッカム、U2のBONO、オードリー・タン台湾デジタル担当大臣などの通訳を経験。

2010年、コロンビア大学にてコーチングの資格を取得し、現在は通訳の経験をもとに、ポジティブ心理学なども取り入れたコミュニケーションのアドバイスをするコーチングの分野にも活動を広げている。

2020年、慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科修了。デザイン思考を用いた英語学習法を研究。

イラスト:斉藤重之

新しい英語力の教室 同時通訳者が教える本当に使える英語術

・価格:1,650円
・発売日:2022年7月20日
・ページ数:208ページ
・サイズ:四六判
・内容
第1章:通訳現場から見る、今目指すべき英語力
第2章:英語を学ぶ
第3章:英語を使う
第4章:学ぶための英語術ワーク
第5章:今すぐ使える英語術ワーク
第6章:やってはいけないNG集