鈴木淳也のPay Attention

第92回

空港の搭乗プロセスをすべて非接触にする「One ID」とはなにか

4月13日に報道陣に公開された成田国際空港の「Face Express」

成田国際空港と東京国際空港(羽田空港)ターミナルは4月13日、顔認証技術を使った搭乗サービス「Face Express」の実証実験を開始した。同日には成田空港において報道陣向けにデモンストレーションが披露されており、その詳細はトラベル Watchにおいて紹介されている

本稿ではFace Expressを技術面から俯瞰しつつ、そのベースになっている「One ID」のコンセプトに触れたい。

顔パスで国際線に乗れるFace Express、空港到着から機内まで

Face Expressは「顔パス」を実現する

Face Expressの基本コンセプトは、チェックイン時にパスポートと搭乗券情報を「顔」という生体情報に紐付け、以後はゲートでの飛行機搭乗まで「顔」情報の提示だけで済ませるというものだ。

従来、チェックポイントの通過時に毎回パスポートと搭乗券を提示して突き合わせを行なう必要があったため、旅行者はそのたびにドキュメントを手に持った状態でのやり取りを行なう必要があった。これをすべて「顔」情報に置き換えることで、チェックイン後はハンズフリーで搭乗まで行なえるため、旅行者にとって非常に利便性が高い。

同時に、「顔認証」という仕組みで一定以上の信頼性を確保できるのであれば、空港運営者や航空会社にとってはヒューマンエラーの防止にもつながり、余分な人員を配置することなく、よりサービス向上へとつなげられる。

4月13日に実証実験がスタートしたFace Express。7月を目標に一般運用を開始する

今回のFace Expressの場合、空港に設置された同サービス対応の自動チェックイン機にパスポートを提示してチェックインを行なう際に「顔」情報が登録され、「パスポート」「搭乗券」「顔」の3つの情報がこのタイミングで結びつけられる。

自動チェックイン機で「顔」情報の登録を行なう

もし預け入れ荷物がある場合には、チェックイン時に出力された「タグ」を付けた状態の荷物を自動預け入れ装置のコンベア上に置き、顔認証を行なうことで預け入れが完了する。

保安検査場においても、従来入り口でパスポートと搭乗券の確認が行なわれていたものが、顔認証のみで通過できる。出国審査後は搭乗ゲートへと向かうことになるが、やはり搭乗時に行なわれていたパスポートと搭乗券のチェック、さらにゲートでの搭乗券のバーコードを読ませる作業は必要なくなり、Face Express専用レーンを顔認証で通過するだけで済むようになる。

つまり、チェックイン時に「パスポート」と「搭乗券」を「顔」情報に紐付けておくことで、以後は「顔」を単一の「ID」として扱うようになり、搭乗のタイミングまで空港内を文字通り「顔パス」できるようになるということだ。

以後は「顔」情報を基にハンズフリーでの空港移動が可能になる

これは「オンラインチェックイン」や「カウンターでのチェックイン」を行なった場合のほか、成田空港や羽田空港での乗り継ぎを行なう場合であっても(目的地までの通し発券が行なわれている場合)、自動チェックイン機や保安検査場入り口で「顔」情報を後付けで登録することで、やはりFace Expressが利用可能となっている。1点残念なのは、出国審査については空港運営会社の管轄ではないためシステムの連携がなく、Face Expressの登録情報が使えない。ただし、出国審査では「顔」認証を使った無人出国ゲートが利用できるため、パスポートを取り出す手間こそあるものの、空港到着から搭乗まで人との“接触”を最小限にした状態でスムーズな通過が可能だ。

出発から帰国まで、すべてを1つの“生体情報”で行なう「One ID」

ここから先は、国際航空運送協会(IATA:International Air Transport Association)が掲げる「One ID」のコンセプトに触れつつ、Face Expressを技術的にみていく。

「One ID」のロゴ

「One ID」は2017年から2019年にかけて基本コンセプトが固められたもので、次の文章でその説明が行なわれている。「Document Free」……つまり「搭乗券」と「パスポート」の両方について、それらを提示することなく「生体情報」に基づいた認証サービスを空の旅を通じて利用できるというもの。ホワイトペーパーなどでも触れられているが、究極的には現状の「モバイル搭乗券」も「顔」「指紋」「虹彩」といった生体情報に置き換え、現状のFace Expressで提供されている「チェックインから国際線搭乗まで」という「アウトバウンド」のプロセスのみならず、「相手国での入国」さらには「帰国まで」のプロセスを「生体情報」という「1つのID(One ID)」で済ませることを目標とする。そのために、空港、航空会社、そして各国政府の連携が必要になる。

One ID introduces an opportunity for the passenger to further streamline their journey with a document-free process based on identity management and biometric recognition. Passengers will be able to identify themselves at each airport touchpoint through a simple biometric recognition. The objective is to achieve a truly interoperable system coordination between airports, airlines and governments.

IATAが2019年6月に出したプレスリリースによれば、当時のタイミングで次の7つ以上の空港が同コンセプトに基づいた搭乗サービスを提供しているという。さすがに越境まではカバーできないため、あくまでFace Expressと同様の「搭乗までの手続きをスムーズに行なう」範囲に留まるが、旅客取り扱い数では世界でもトップクラスの空港が多数参加しているのは興味深い。

  • アトランタ国際空港とそのほか米国の空港
  • アルバ国際空港(アルバ、オランダの海外自治領)
  • ヒースロー空港(英国)
  • シドニー空港(オーストラリア)
  • スキポール空港(オランダ)
  • チャンギ空港(シンガポール)
  • ドバイ国際空港(ドバイ、UAE)

このうち、シンガポールのチャンギ空港は2017年10月にオープンしたTerminal 4での運用が開始されている(コロナ禍での需要急減により現在は閉鎖中)。同空港でのサービスは「FAST(Fast And Seamless Travel)」の名称が名付けられており、基本的なフローはFace Expressと一緒だ。

将来的に、現在建設中のTerminal 5に加え、既存のTerminal 1-3までを合わせた一体運用においてFASTを適用するための実証実験という位置付けでもある。生体認証と出入国管理に関するシステムは仏IDEMIAが提供しており、同社のシステムはスキポール空港にも利用されている。

日本でのFace Expressの顔認証システムはNECが提供し、スペインのAmadeusグループのICM Airport Technicsがキオスク端末やABD(Auto Bag Drop)関連のハードウェアを提供しているが、空港での生体認証システムが各社の技術力をアピールする最先端の場となっている点が面白い。

シンガポールの玄関口であるチャンギ空港(出典:Changi Airport)
チャンギ空港Terminal 4におけるFASTの顔認証ゲート(出典:IDEMIA)

One IDは生体情報を“ユニークキー”とした認証サービスという位置付けになるが、やはり気になるのは情報管理の部分だ。特に国境移動が絡むクロスボーダーの世界においては、各国の規制が“枷”となる可能性が高い。欧州のGDPRが典型だが、同意なく必要以上に個人情報を収集し、無制限に利用範囲を拡大していくことは難しい。

チャンギ空港のFASTの場合、登録した顔情報の有効範囲は空港内に留まり、さらに利用客のフライトが飛び立った瞬間に情報はすべて削除される。One IDでは登録情報の有効期限については特に明記されていないが、Face Expressについても同様に「フライトから24時間以内での削除」をうたっている。顔認証情報を使った空港内での決済サービスへの流用なども現時点では検討しておらず、「あくまで搭乗までのプロセスをスムーズにする」ことを目的としている。

一般に、生体情報を“ユニークキー”とした認証サービスでは、登録件数が多いほど誤認識の数が増えるとされ(エラー率が一定ならば母数が増えることでエラー件数が増加するため)、これが決済サービスへの流用のハードルの1つとなっている。そこで複数の生体情報を組み合わせたりすることでエラーを防ぐわけだが、Face ExpressやFASTのような仕組みであれば、現在当該の空港を利用している客数以上の登録情報は存在しないため、マッチング時のエラーは起こりにくい。

また、顔情報そのものは毎回新規に登録が行なわれるため、以前に登録した情報との差異が大きいために認識できないというエラーも発生しづらい。このあたりは顔認証をこうしたサービスに利用する際の大きなポイントの1つだと筆者は考える。

以前と今日で位置付けの変わった「One ID」

スムーズな旅行体験を提供することをコンセプトとした「One ID」だが、その位置付けは以前といまとで少し変化している。IATAの関連ドキュメントではたびたび「The number of air travelers is expected to double to 8.2 billion by 2037.」のフレーズが出現しており、オリジナルのコンセプトを発表した2017年段階では、その20年後に向けた旅客倍増見込みに対応するため、さらにスムーズな空港体験を提供する必要があるとの発想の下で「One ID」は提唱された。実際、One IDの概要を説明するインフォグラフィックの図では、Face Expressの発表の際に成田空港関係者が触れなかった「ゲートまでの到着時間の短縮」について、パスポート取り扱いに関する時間を80%低減できると説明している。

One IDでの搭乗までのプロセスと、それで短縮される時間について説明した図(出典:IATA)

この基本路線は変わらないものの、昨年2020年から始まった新型コロナウイルス蔓延による国際線旅客需要の急減を受けてか、「One ID」のメリットに関する説明が書き換えられている。One IDの解説を行なっているファクトシートについて、登録時期は不明なもののロゴが現在のものになる前の暫定版の頃のファクトシートと、現在公式ページで公開されているファクトシートでは、文言が1カ所だけ異なる。「人と装置との接触を制限し、ドキュメント交換を最小限にする“非接触”を助ける」の部分だ。

古いバージョンのファクトシートにおける「One ID」のメリットの解説(出典:IATA)
現在のバージョンのファクトシートにおける「One ID」のメリットの解説(出典:IATA)

今後、ワクチン接種の進展と新型コロナウイルスの沈静化で国際線需要は徐々に回復してくると思われるが、おそらく需要復活のカーブは当初IATAが想定していたものとは異なった形になるだろう。できるだけ早期の需要回復は空港関係者や航空会社の願うところだが、まずは安全性のアピールが重要となってくる。ゆえに、“数を捌く”ことを目的として誕生したOne IDのコンセプトは、現在ではどちらかといえば「安全性をアピールするための手段」として機能しつつある。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)