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サントリー美術館で長谷川等伯と久蔵親子の競演「京都・智積院の名宝」展

サントリー美術館にて「京都・智積院の名宝」が開催されている

六本木の東京ミッドタウンのサントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4)で、「京都・智積院の名宝」展が始まった。長谷川等伯と久蔵親子の障壁画など、国宝6件と重要文化財4件を含む全73件が展示される(※会期中展示替えあり)。会期は11月30日~2023年1月22日。開館観覧料は、一般が1,500円、大学・高校生が1,000円、中学生以下は無料。

今回の展示会で展示されている、長谷川等伯筆の国宝「楓図」と、息子の長谷川久蔵が描いた同じく国宝の「桜図」が、智積院(ちしゃくいん)以外で揃って展示されるのは、今回が初めてのこと。同じく寺外での展示が初となる国宝「松に黄蜀葵(とろろあおい)図」など、桃山時代を代表する長谷川等伯一門が描いた金碧障壁画が揃う、貴重な機会だ。

いずれも国宝! 長谷川等伯と久蔵親子の競演

そうした多くの国宝や重要文化財を持つ智積院(ちしゃくいん)は、京都の東山にある、真言宗智山派(ちさんは)の総本山。

真言宗智山派は、弘法大師空海が真言宗を開いた高野山の、中興の祖と言われる興教大師覚鑁(かくばん)からの法統を受け継ぎ、室町時代中期に紀伊国(現在の和歌山県)の根来寺(ねごろじ)に創建した。その後、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と対立することで一時衰退するものの、江戸時代初期に徳川家康からの寄進を受けて再興を遂げた。

仏教に詳しくない特に関東圏の人には、成田山新勝寺や川崎大師平間寺、高尾山薬王院の三山が、同じ真言宗智山派だと言えば、親しみが沸くかもしれない。

「弘法大師像」一幅・室町時代・文安元年(1444)・智積院・展示期間:11/30~12/26
「京都府指定有形文化財 興教大師像」一幅・鎌倉時代・13世紀・智積院・展示期間:11/30~12/26

そして智積院のある京都東山は、豊臣家滅亡後に徳川家康から譲り受けた場所。もとは豊臣秀吉が、3歳で亡くなった息子の鶴松の菩提を弔うために建てた「祥雲禅寺(しょううんぜんじ)」があり、その客殿の内部を飾っていたのが、長谷川等伯一門による金碧障壁画群。長谷川等伯が描いた「楓図」と、息子の久蔵が描いた「桜図」も、そうした障壁画の1つだったのだ。

「国宝 楓図」長谷川等伯・六面のうち四面・桃山時代・16世紀・智積院・全期間展示
「国宝 桜図」長谷川久蔵・五面のうち四面・桃山時代・16世紀・智積院・全期間展示

祥雲禅寺から智積院へと引き継がれた長谷川一門が描いた金碧障壁画群は、これまで何度も火事や盗難に遭ってきた。その最初が、江戸時代の天和2(1682)年。祥雲禅寺の頃からの建物が火災で焼失するが、金碧障壁画群は智積院の僧たちによって運び出されたという。火災から約20年後の宝永2(1705)年の記録によれば、大小93枚が保管されていたことがわかる。

残された障壁画は、享保十二(1727)年に、再建されていた客殿や大書院などの襖として仕立て直された。新たな建物のサイズに合わせて改編された「楓図」や「桜図」は上部と下部が50cmずつ切り縮められ、「松に黄蜀葵(とろろあおい)図」などは切り貼りされて、高さが3m以上にもなっている。

奥右から長谷川等伯「松に秋草図」二曲一双、長谷川久蔵「桜図」五面、長谷川等伯「楓図」六面(いずれも桃山時代・16世紀・智積院・全期間展示)

明治二十五(1892)年には大書院や客殿の襖などが盗難に遭う。また太平洋戦争後の昭和二十二(1947)年には、宸殿や方丈殿(仮本堂)、大書院など多くの堂宇が火災に見舞われるだけでなく、障壁画十六面が焼失した。

そうした火災や盗難をくぐり抜けて、今に残る金碧障壁画群。その中で、現在修復中の作品を除く5点が、今回の展示会に集まり、しかも同じスペースに展示されている。それら障壁画群を目の前にすると、桃山時代の豪壮華麗な空気感のなかで、その荘厳さに見惚れるに違いない。

右から長谷川久蔵「桜図」五面、長谷川等伯「楓図」六面(いずれも桃山時代・16世紀・智積院・全期間展示)
右が長谷川等伯「松に黄蜀葵図」四面、左が長谷川派「雪松図」四面(いずれも桃山時代・16世紀・智積院・全期間展示)

昭和の京都画壇を代表する斬新な作品も展示

今回の「京都・智積院の名宝」展で目を奪われるのは、長谷川一門の金碧障壁画群だけではない。展示フロアを移動すると見えてくるのが、堂本印象による「松桜柳図(まつさくらやなぎず)」と「婦女喫茶図」だ。

これらは昭和三十三(1958)年に描かれて、智積院の現在の宸殿を飾っている襖絵。特に「松桜柳図」は、長谷川等伯と久蔵の障壁画を意識したと伝わっている作品。画面をダイナミックに横切る柳の幹や、平面的な松の葉などに、その影響が見受けられるという。

もう一方の「婦女喫茶図」は、作品を前にすると、鮮やかな色彩が目にまぶしいほど。木々に囲まれた庭で女性2人がお茶を楽しんでいる……そうした絵が、寺に飾られる障壁画として昭和時代に描かれているのに驚く。当然、完成した絵を観た人たちの驚きは、それ以上だっただろう。解説パネルにも「斬新な画題と表現により、寺内外で話題になった」としている。

階段の左下に展示されているのが、昭和三十三(1958)年に堂本印象が智積院の宸殿のために描いた「松桜柳図(まつさくらやなぎず)」八面・全期間展示
画面をダイナミックに横切る柳の幹などから、長谷川等伯や久蔵の障壁画からの影響が見受けられる堂本印象筆の「松桜柳図」八面・昭和33年(1958)・全期間展示。手前は「片身替蒔絵湯桶・盥」一具・桃山時代・16世紀
斬新な画題と表現で、寺内外で話題になったという堂本印象筆の「婦女喫茶図」四面・全期間展示。こちらも昭和33(1958)年に智積院の宸殿のために描かれた

これら堂本印象の作品と同じ「智積院の名宝が結んだ美」と題されたスペースに、展示されているのが土田麦僊(ばくせん)の「朝顔図」という一幅だ。同氏は、16歳の時に智積院に入るが、画家を志して出奔したという。それでも、智積院にある「楓図」や「桜図」から学び取った成果を、自身の作品の中で発揮したとしている。

本作は土田麦僊が晩年期に制作したもの。茂る花や葉に加えてツルが勢いよく上に伸びていく様は、朝顔の生命力の強さを感じさせる。その一方で、画面上半分に大きな余白を残すなど、瀟洒な雰囲気が感じられる。

左が土田麦僊の「朝顔図」の一幅・昭和9(1934)年。右が狩野信之の「雀・鶏・鶉図」三幅・江戸時代・17世紀。いずれも智積院・全期間展示

まだある、末寺3000以上を誇る智積院の寺宝

智積院は、全国に3,000以上の末寺を擁する真言宗智山派の総本山。同山には、桃山期の金碧障壁画意外にも多くの名宝を所蔵している。その中から、中国・南宋の書家、張即之(ちょうそくし)の代表的な作品、国宝「金剛経」などが展示されている。

「国宝 金剛経」一帖(部分)・張即之・南宋時代・宝祐元年(1253)・智積院・全期間展示(場面替あり)

日本の絵師にも多くの影響を与えた、中国の南宋時代に描かれた「瀑布図(ばくふず)」も見どころの1つだ。一見、シンプルに描かれているように見えるが、水が勢いよく流れ下り、滝壺からの水煙で周囲が霞む様子が、精緻なタッチで描かれている。

右が重要文化財「瀑布図」一幅・南宋時代・13世紀・智積院・展示期間:11/30~12/26

そのほか歴史が好きな筆者の好みを記せば、なんといっても室町~桃山時代に描かれた六曲一隻の「一の谷合戦図屛風」は見逃せない。画面には源義経の鵯越の逆落としや、平敦盛の最後の場面をはじめ、一の谷の戦場の様子が細かく描かれている。

筆者にとっての「一の谷合戦図屏風」のように、「京都・智積院の名宝」展では、長谷川等伯一門の金碧障壁画のほかにも、心にグッとくる作品に出会えるはずだ。ぜひ足を運んでほしい。

また展覧会や美術展の楽しみの1つが、ミュージアムショップを見て回ることだろう。「京都・智積院の名宝」展ならではのアイテムがあるので、こちらもチェックしておこう。

ミュージアムショップ全景
「楓図」や「桜図」をイメージしたアクセサリー