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コンピューティング必修化から3年が経った英国、報告書に記された5つの課題とは?――鵜飼佑氏トークイベント

長年、プログラミング教育の普及・支援活動を続けるNPO法人「CANVAS」は2017年12月14日、英国のコンピュータサイエンス教育事情を紐解くトークイベント「英国でのコンピュータサイエンス教育の今とは?必修化3年後の状況と日本のこれからの『プログラミング教育』を考える」を日本マイクロソフト本社で開催した。

ゲストスピーカーとして登壇したのは、英国のKing's College London(キングス・カレッジ・ロンドン)にて、コンピュータサイエンス教育の研究に携わる鵜飼佑氏。同イベントでは2017年11月に発表された、英国のコンピューティングに関するレポート「After the Reboot? Computing Education in UK Schools」の内容をもとに、日本のプログラミング教育のこれからを考えようというのだ。

2020年度の必修化に向けて、課題が多い日本のプログラミング教育。先をゆく英国に学ぶべき点は多いはずだ。鵜飼氏の講演をもとに、日本のプログラミング教育が参考にすべき点を探っていこう。

※注)本講演タイトルに、“英国でのコンピュータサイエンス”とあるが、鵜飼氏が取り上げた内容は全て「イングランド」における事例・報告となる。英国はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの地域があるが、それぞれ教育システムが異なる。本文中は「英国」ではなく、「イングランド」と表記する。

会場となった日本マイクロソフト本社には、教育関係者らが多く詰めかけた。80名の定員は満席

<Part 1>必修化から3年、“継ぎ接ぎだらけのコンピューティング”

鵜飼佑氏:慶應義塾大学環境情報学部卒業後、東京大学大学院修士課程修了。水中ロボットを用いた水泳教育支援システムの研究開発を行い、2011年には情報処理推進機構より未踏のスーパークリエータに認定される。その後マイクロソフトのOfficeやMinecraft Education開発チームにてプログラムマネージャを務める。現在はプログラミング教育の研究のためにKing’s College Londonに留学。17歳以下を対象とした「未踏ジュニア」の統括も務める

イングランドは2014年9月に、5歳から14歳までを対象に、プログラミングを含む「コンピューティング」という新教科を必修化した。当時、同国の動きは諸外国に大きな影響を与え、その後、多くの国で義務教育段階にプログラミング教育が導入されるきっかけになった。

そんなイングランドだが、2014年の必修化から3年の月日が過ぎた2017年11月に、コンピューティングにおけるこれまでの取り組みや事例、評価などを総括したレポート「After the Reboot? Computing Education in UK Schools」を発表した。

鵜飼氏はイベント冒頭で、「結論から述べると、このレポートに書かれていた内容はかなり手厳しい。イングランドのコンピューティングが継ぎ接ぎだらけだとの表現もあった」と述べた。いったい、イングランドはどのような課題を抱えているのか。鵜飼氏はそれらを取り上げる前に、まずはイングランドの教育システムとコンピューティングの扱いについて説明した。

イングランドの教育システムとコンピューティング

イングランドでは、「Key Stage(キーステージ)」と呼ばれる4つの教育課程が設けられている。前半の2ステージ「KS1」「KS2」がプライマリースクール(小学校)、後半の2ステージ「KS3」「KS4」がセカンダリースクール(中学校)となり、その両方でコンピューティングが必修化されている。通常、プライマリースクールにおいては学級担任が、セカンダリースクールでは教科担任がコンピューティングを教える。鵜飼氏が作成したスライドによると、詳細は下記の通り。

イングランドの教育システムとコンピューティングの扱い。KS4では週2時間実施されているという

KS4にある「GCSE」とは、日本でいうところのセンター試験のようなもので、14歳以降はGCSEの選択科目でコンピューティングを選んだ生徒だけが受講する。ちなみに、KS4の後に続くKS5も同様で、18歳で受ける「A-level」と呼ばれる試験においてコンピューティングを選択した生徒だけが受講する仕組みだ。つまり、5歳から14歳までの10年間は、全員がコンピューティングを受講するが、14歳以降は進学試験で必要な生徒のみが受講するというシステムだ。

こうしたイングランドのコンピューティングを支えているのが、産学官連携による外部団体の存在だ。鵜飼氏は、その代表的な団体として下記3者を挙げ、それぞれの役割を説明した。各団体の詳細については、各サイトで資料や事例が公開されているので、興味のある読者はアクセスしてほしい。

Network of Excellence(教員を指導するマスターティーチャーの派遣、草の根的な研修ネットワークを支援)
Barefoot Computing(小学校向けの教材・研修を提供)
CAS Research(教育省からも認定。教員研修の中心的な役割)

コンピューティングの目的とコンピュテーショナルシンキング

イングランドのコンピューティングは、どのステージでどのような内容を学ぶのか、その方針がナショナルカリキュラムで明確に定められている。特徴的なのは、コンピューティングといっても、プログラミングだけを学ぶのではないこと。日本の場合はプログラミングだけが必修化されているのに対し、イングランドのコンピューティングは、プログラミングやデジタルコンテンツ、情報モラルなど、コンピュータに関する幅広い知識を網羅している。参考までに各ステージで、どのような内容を学習するのか、代表的なものを下記に挙げた。なお、イングランドのナショナルカリキュラムの日本語訳は、文科省の報告書でも公開されているので、詳細を知りたい読者はそちらにアクセスしてほしい。

イングランドのナショナルカリキュラム(一部)

・KS1(5~7歳):アルゴリズムの理解、簡単なプログラムを作って、デバッグできる
・KS2(7~11歳):順次実行・繰り返し・条件分岐などを使って、何らかのゴールを達成できるプログラムを作る。言語の指定はない
・KS3(11~14歳):2つ以上のプログラミング言語の理解(最低ひとつはテキストベース)。現実問題や物理現象の動き・状態を抽象化したモデリング
・KS4(14~16歳):コンピュータサイエンスやデジタルメディア、情報技術に関する技能と知識、創造性の育成

ちなみに、2017年に発表されたレポートの中では、どの言語がよく使われているか調査した結果も公開された。プライマリースクールにおいては「Scratch」が1位、セカンダリースクールにおいては「Python」が1位だった。鵜飼氏によると、Pythonが1位になった背景は、GCSEの試験に対応しているからだという。

左のグラフはプライマリースクールで使われているプログラミング言語の調査結果。右のグラフはセカンダリースクールのもの

一方、コンピューティングの教科全体を通して重要視しているのが、Computational Thinking(コンピュテーショナルシンキング)の育成だ。ナショナルカリキュラムにおいても、その点をコンピューティングの教育目的として明記している。

ナショナルカリキュラムに明記された、コンピューティング教育の目的

コンピュテーショナルシンキングとはなにか。これについては明確な定義はなく、国や研究者によって捉え方が異なるが、鵜飼氏は、「コンピュータサイエンティストが備えている(と考えられる)、コンピュータサイエンスから派生したさまざまな考え方だ」と説明した。イングランドにおいては、教育省が認定した支援団体「CAS」がコンピュテーショナルシンキングのフレームワークを同団体のサイト上で公開している(下記スライド参照)。

CASはコンピュテーショナルシンキングにおけるコンセプトを明確にしている。それは、(1)Logic、(2)Algorithms、(3)Decomposition、(4)Pattern、(5)Abstraction、(6)Evaluationの6つになる。

こうしたコンピュテーショナルシンキングを育成するためには、どのような授業を行うべきか。これについても、CASは学ぶべき内容を体系的にまとめた「Computing Progression Pathways」を公開している。鵜飼氏は「イングランドのコンピューティングは、どの学年で何をやればいいのか指針が示されている。日本においても、学級担任が変わる中で体系的にプログラミングを学ぶためにも、指針となるものが必要だ」と述べた。

<Part 2>イングランドのコンピューティングが抱える5つの問題点とは?

こうした形で進められてきたイングランドのコンピューティング。2014年の必修化から3年の月日が過ぎた2017年11月に、これまでの取り組みを総括したレポート「After the Reboot? Computing Education in UK Schools」が発表された。同レポートでは、イングランドのコンピューティングには5つの課題があると指摘している。その5つとは以下の通りだ。

1. GCSE以降でコンピューティングを学ぶ生徒が少ない
2. 性別間格差
3. 教員不足
4. 既存教員へのサポート不足
5. CS教育の研究に基づいた政策立案の不足

ここからは、ひとつひとつを掘り下げてみよう。

1. GCSE以降でコンピューティングを学ぶ生徒が少ない

イングランドでは、全ての子供は14歳までコンピューティングを学ぶが、14歳以降、学び続ける子供が少ない。特に問題視されているのは、GSCEのテストでコンピューティングを選ぶ生徒が圧倒的に少ないことだ。その原因は、(1)興味がない、(2)学校の授業にない、(3)難しすぎる、という3点が挙げられるという。これらについて鵜飼氏が説明を付け加えた。

GCSEでコンピューティングを選択する生徒は、全GCSE受験者の11%

「興味がない」ことについては、レポートの中で掘り下げて論じていないものの、鵜飼氏は学校の授業にばらつきがあるのではと指摘した。というのも、同氏がボランティアで関わる子供たちにコンピューティングの授業の様子を聞いたところ、“スクラッチでアニメを作って終わり”で、結局、何をやっているのかよく分からないといった声もあったという。鵜飼氏は「学校のコンピューティングの授業がつまらない、その結果、嫌いになってしまう子供も出ているだろう」と述べた。

また、「学校の授業にない」ことについては、必修化をしたイングランドといえども、現場レベルではまだまだ完全実施とまでは言えないようだ。教員不足などが原因で、特に小規模校、地方の学校ではコンピューティングを学べる可能性が低下しているという。最後の「難しすぎる」という点については、GCSEのコンピューティングの問題が難しく、できないというイメージが先行していると鵜飼氏は説明した。またイングランドでは全ての学校で、学力調査の結果が公開されているため、得点の取りにくい教科が勧められない傾向にあると同氏は付け加えた。

14歳以降、コンピューティングを選択した生徒が学ぶGCSEコンピュータサイエンスのテキスト。多くの教材会社からテキストが出ているという。GCSEにおけるコンピューティングの試験は、点数の80%が記述式、残り20%はプログラミングで条件を満たした成果物を作成するというもの
2. 性別間格差

イングランドでは、コンピューティングを継続して学ぶ生徒の8割が男子だ。加えて、共学校よりも、男子校・女子校に通う生徒の方がコンピューティングを受講する傾向にある。鵜飼氏は「女子生徒に対して、コンピューティングのイメージを変える取り組みが必要だ」と述べた。

GCSEでコンピューティングを選択した男女の比率
3. 教員不足

イングランドは2012年から2017年で、コンピューティングを指導できる教員の採用を増やす方針を掲げていたが、68%しか達成できなかった。しかも、採用された教師は専門家でない場合が多く、他の科目を教える必要もあるという。鵜飼氏は「教員が時間やコストの負担なく参加できる研修が必要であること、パラレルキャリアを持つ人材を学校に巻き込む必要があることが改善策に挙がっている」と述べた。

教科ごとの教員採用達成率をグラフにしたもの。コンピューティングは目標に対して68%しか達成していない
4. 既存教員へのサポート不足

イングランドでは、コンピューティングを必修化する前から、アプリケーションの操作や使い方を学ぶ「ICT」と呼ばれる科目があり、義務教育過程に組み込まれていた。このICTを担当していた教員が現在、コンピューティングを指導しているわけだが、セカンダリースクールにおける44%の元ICT教員は、「コンピューティングの最初のカリキュラム(コンピュータサイエンスの比重が少ない部分)を教える自信がない」と答えているという。にもかかわらず、同教員らの26%は、1年間に1度も研修を受けていない。しかも学校において、“ただひとりのコンピューティングの教員”であることが多く、教員同士の学び合いも生まれていない。鵜飼氏は「教員の指導レベルの低さが、子供たちの興味・関心を下げる原因になっている恐れがある」と指摘した。

5. CS教育の研究に基づいた政策立案の不足

これまでコンピュータサイエンス教育の研究のほとんどは高等教育機関が対象であり、初等・中等教育段階を対象にしたものは少なかった。しかし、イングランドは、エビデンスに基づいた教育政策の立案が活発になりつつあり、初等・中等教育段階を対象にしたコンピュータサイエンスの研究も求められる。しかしその支援は少なく、課題となっている。

<Part 3>教員養成に150億円を投入したイングランド、学ぶべき点は?

イングランドが発表した5つの課題を説明した後に鵜飼氏は、「とはいえ、こうしたレポートが発表されてからのイングランドの動きは早かった」と述べた。レポート発表後、イングランド政府は、コンピューティングの教員養成に1億ユーロ(日本円で約150億円)を投資し、GCSEレベルのコンピューティングを指導できる教員を8000人養成すると発表した。またグーグルも同時に100万ユーロ(約1.5億円)をRaspberry Pi財団に提供し、教員養成を支援するという。

もちろん、現時点においても、どの教員でもコンピューティングが指導できるよう、パッケージ化されたテキストブックが多数販売されているという。例えば、Rising Stars社の「Switched on Computing」などがそうで、さまざまな企業が指導者用テキストブックを用意している。そうした話からも、プログラミングを教えるためのツールやコンテンツは充実しつつある様子が伺える。

上記は鵜飼氏が紹介したプライマリースクール向け「Scratch」の指導者用テキストブック。イングランドでは教材会社や出版社から多数、コンピューティングに関するテキストが販売されているという

しかし、どんなにツールやテキストが用意されていたとしても、実際に教員自身が“手に取る”“動かしてみる”機会がなければ、授業での実践は難しい。そのためには、教員研修は必須であり、レポートの指摘にもあったように、教員が時間やコストの負担なく研修を受けられる体制づくりが不可欠だといえる。

また、イングランドの事例でもうひとつ学びたい点は、授業以外の活動や地域との関わりだ。鵜飼氏の話によると、イングランドでは6割の小学校で「Code Club」と呼ばれるパソコンクラブのようなものが存在し、コンピューティングに関する活動を行っているという。また、授業にゲストスピーカーを呼んだり、子供たちがIT企業を訪問したりするような活動も年1回程度の割合で実施する学校が多い。もともと、イングランドの学校はコンピューティングに限らず、地域人材を巻き込んで、社会とつながって学校運営を進める文化がある。そうした背景が後押しし、コンピューティングに関する活動も地域人材を巻き込む発想があるというのだ。日本においても、新学習指導要領では「社会に開かれた教育過程」が重要視されていることから、地域人材とうまく関わりながらプログラミング教育を盛り上げていきたいものである。

コンピューティングに関するエクストラカリキュラム。プライマリースクール(左)、セカンダリースクール(右)の取り組み内容と実施回数

鵜飼氏は最後に、「イングランドが抱える課題は、日本のプログラミング教育においても予見できることであり、イングランドの教訓を活かすことが大切だ」と述べた。2020年に向けて、ますます取り組みを加速しなければならない日本のプログラミング教育。日本の子供たちがプログラミング嫌いにならないよう、充実した授業を届けてほしい。

神谷加代

教育ITライター。「教育×IT」をテーマに教育分野におけるIT活用やプログラミング教育、EdTech関連の話題を多数取材。著書に『子どもにプログラミングを学ばせるべき6つの理由 「21世紀型スキル」で社会を生き抜く』(共著、インプレス)、『マインクラフトで身につく5つの力』(共著、学研プラス)など。