新生活特集2018

新年度に自分を頑張らせてくれたアナログアイテム3点 by スタパ齋藤

自分を頑張らせる「アナログもの」×3点

三寒四温の季節、皆様におかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げつつ、歯に衣着せずに申しちまいますと、もうすぐ4月ですけど新年度ってヤなことがけっこーありますよね。社会人でも学生でも、年度替わりには多かれ少なかれ「変化」があり、それが楽しいことならいいんですが、変化の多くは「不安」や「苦痛」や「面倒」を含んでいます。変化は進化をもたらしもしますが、心地良い安定状態が壊されることでもあります。

ともあれ、新年度、ちょっと頑張る必要がありますネ。じゃあ、どうやって自分を頑張らせましょうか?

ひとつの方法として「自分へのプレゼント」があると思います。単純に「これからヤなことに立ち向かうかわりに、ほぉ~ら、コレを自分から自分へプレゼントっ♪」みたいな。モノで自分を釣るようなモンですが、巧くハマると「意外なほど頑張れる」と思います。思うというか、そういう経験をしています。

というわけで、僭越ながら、新年度を頑張るための「自分へのプレゼント品」をご紹介。「筆者において効果的だった自分へのプレゼント」ということで、同じものを買えばいいってわけではないと思いますけれども。

モノは3つあります。どれもアナログもの。具体的には「自由に書ける手帳」「カッコイイ機械式腕時計」「書き心地の良い筆記具」です。

筆者が使用中の「自由に書ける手帳」と「カッコイイ機械式腕時計」と「書き心地の良い筆記具」。自分のなかに出現しちゃうネガティブな気持ち、意外なほど「どうにかしてくれる」という頼もしい存在です

こんなモノで憂鬱な新年度を頑張れるようになるの? さて、どうでしょう。ともあれ、これらが筆者にとってどんな存在なのか、それぞれご説明しましょう。

書いて吐き出し、先に進む

筆者が働き始めた1980年代後半は、まだケータイもノートPCもない時代。でしたので、仕事には手帳が必須でした。連絡先や予定を書き込んで携帯する、重要な仕事道具。筆者の場合、重要事や気付いたことから落書きまで、全部手帳に書いていました。

1990年代後半あたりからは、電子手帳やケータイが普及し始めたので、手帳はあまり使わなくなりました。その頃から「手帳に書いて残す」ということが激減し、数年前までそうでした。

で、数年前、片付けものをしていたら、1980~1990年代にかけて使った手帳が出てきました。それをパラパラ見てみたら、おもしろい! 過去の自分が忙しく働き、イヤな思いもし、くだらないコトも考え、とにかく毎年毎年を過ごしてきた様子がよ~くわかる! あー手帳って後から見るとそうとうおもしろいなあ~「非常にパーソナルなエンタテインメント」としてサイコーかもしれない♪

そんなコトがあって、再度手帳を使うことにしました。現在はスケジュールの類はクラウド方面のツールを使っていますので、紙の手帳には「日々のちょっとした出来事」を書くことに。まあ、何時に起きたとか、何を食べたとかコレを買ったとか猫がどうしたとか、こんなことがあってこう思ったとか、そんな日報的な手帳です。また、昔の手帳でおもしろかった要素に「落書き」があったので、落書きも鋭意するようにしました。

で、半年も手帳を使っていくと、これもやはりおもしろいんです。「あぁそうそう、アレは面倒だった!」「あのときは良かったなー」と、まだ半年経ってないアレコレなのに、知っているハズの自分の体験なのに、おもしろ~い♪

後から読み返しておもしろい興味深いというのもありますが、一方で、「書いたり描いたりするとちょっと肩の荷が下りる」ということも徐々に実感するようになりました。不思議なんですが、たとえば面倒な懸案を書き留めると、その懸案の面倒くささ度合いが少し下がるんです。

たぶん、悩みや悲しみを人に話すとちょっと気が楽になるアレと同じ。たとえば面倒な事柄。書く前は「あ~コレ面倒だなぁどうしようかなぁ?」とモヤモヤ溜め込んでいる感じですが、書いちゃうと「コレ面倒だけど、まあ、どうにかするよ、きっとネ!」くらいに気が楽になるんです。

歴代の紙の手帳の一部。茶色く大きいのが現在使用中の手帳です。たっぷり書き込めるよう、大きめの手帳を選びましたが、購入理由は「触ったらイイ感じだったから」です。機能性とかコスパとかにこだわらずに「これが好き♪」的な直感で選んだほうが、「毎日楽しんで使える」ような気がします
中身は日報的な箇条書き記録と落書きがメインですが、後から見るとおもしろ~い♪ です。第三者的には単なるメモと落書き? 自分の過去をいちばんおもしろがれるのって、やっぱり自分なんでしょうね

筆者にとって、現在毎日書いたり描いたりしているこの手帳は「記録」でもあるんですが、同時に「はけ口」にもなっているんだと思います。一日かけてアレコレと書いたり描いたりして日が暮れると、その日のアレコレはいったんオシマイ。明日は明日。引きずらずに切り換えて、先に進む。筆者にとっての手帳はそんな存在です。

あと、過去の手帳を見返していると、「何だかんだあったけど、どうにかして、どうにかなって、今いるんだなあ」とか思います。山あり谷ありをとりあえず乗り越えてきてイマココ! なんかこの先も大丈夫って気がしてきた! 的に、過去の自分に力をもらえるような気もするんでした。

そーゆーふーに手帳を使いなさいとか言ってるわけではありません。筆者における手帳のようなモノが見つかり、巧く使えたらスッキリしたり頑張れたりしてイイぜ! みたいな話です。

見て、触って、聴いて、テンションを上げる

一時期、機械式時計のしくみについて勉強したことがありまして。技術的にも工芸的にも、知れば知るほど「人の手でつくられるこのメカニズム、凄いな~」と心を動かされます。同時に、機械式時計を間近で観察したくなり、じっくり見られるものを購入。機械式の懐中時計(ポケットウォッチ)です。懐中時計である理由は、ムーブメント(メカニズム)部分が大きいので観察しやすく、時を刻む音も大きくよく聞こえるからです。

その時計を毎日のように観察していると、やっぱりほかの機械式時計も見てみたくなり、ネットでアレコレと検索。同時に実店舗で実物を見たりも。

そんななか「コレはカッコイイ!」と思える機械式腕時計と遭遇。TISSOT(ティソ)の「T-COMPLICATION SQUELETTE (T-コンプリカシオン スケレッテ)」です。

TISSOT「T-COMPLICATION SQUELETTE」。表からも裏からも、なかの機械がよく見える(スケルトン/シースルーバックの)手巻き機械式腕時計です

機械式腕時計のメカニズムに興味を持ってから、スケルトンと呼ばれる中身が見える時計をあれこれ見てきましたが、「これはカッコイイ!」と思えるものはだいたい100万円以上とか1000万円以上とか。「カッコイイけどその値段は無理」ということでパスしてきましたが、「T-COMPLICATION SQUELETTE」については「それなりの値段でもぜひ買いたい!」と思うくらい惹かれました。でも実際は20万円前後でしたので(一瞬考えてから)購入しちゃいました♪

筆者的にはですね~、この時計も~最高にカッコイイんですよ! 余計な装飾がなく、機械部分がとてもよ~く見えます。また、ムーブメントが懐中時計用のもので、そのぶん大きめのメカニズムで観察しやすく、チッチッチッチと時を刻む音も大きい! もう最高これ! カッコ良すぎて毎日何度も見ちゃう~♪

もちろん鋭意腕に装着して出かけて、外でも見て触って、そして音も聴いて、テンションを上げつつ堪能しています。また、この腕時計をチラリと見た人がいた場合、平静を装いながらその人に「でっしょぉ~見ちゃうでしょこのティーコンプリカシオンスケレッテつい見ちゃうでしょ~カッコ良すぎて~無条件で買いたくなっちゃう良さですよね~」と心で語りかけてさえいます。

毎日何度も見ちゃうくらいカッコ良すぎて虜です♪

つまり「T-COMPLICATION SQUELETTE」の虜になってる筆者なわけですが、この最高にカッコイイ時計は、筆者の鬱憤をフッ飛ばしてくれる心理的効果も発揮しまくりなんです。購入後何カ月も経つのに、見ると「うぁ~やっぱコレ超カッコイイ~最高!」と思える超カッコイイ存在は。仕事で疲れたりイヤなコトがあたりしても、見た途端に「相変わらずカッコイイな~この時計は! よし気分を変えて仕事!」とやる気を出してくれるのであり、見た瞬間に「こんなカッコイイ時計を使っているなんて幸せ! くだらないコトがあったけど、あんなことどうでもいいや~♪」とハッピーな気分にさせてくれるんでした。

こういう存在がいつも身近にあると、いいと思います。現在の筆者の場合は、たまたま凄まじいカッコ良さに加えて実用性およびコストパフォーマンスの高さを備えた愛すべき機械式時計だったというだけで、それが手紙の一文でも、おいしいお菓子でも、好きな曲でも、あるいはニャわいい猫ちゃんでも、その人の気持ちをポジティブに導くなら何でもアリ。

そんな存在が傍らにあれば、新年度の鬱憤など無に等しい。ぜひ、鬱憤を蹴散らしてテンション上げて参りましょう。

あ、余談ですが、このタイプの「毎日手でゼンマイを巻く必要がある機械式時計」って、朝のひとときをより落ち着いたものにしてくれる気がします。朝の「ゼンマイを巻く」という儀式。静かに、ゆっくりと、ゼンマイを巻くと、頭のなかの雑念が消えていくような落ち着きが得られる気がします。活動前の精神統一って感じで、ちょっとイイです。

手の動きから生まれる快楽

手の動きって、それ自体が快楽を生んでいるんじゃないのかな~と思うことがあります。「手」と来て「快楽」となるとエロい感じがありますが、そういうのとは関係ナシに。

なにか手を動かす作業をして、その作業に夢中になったことがあると思います。たとえば、削ったり、磨いたり。滑らかに削るとかピカピカに磨くといった目的とは別に、手を動かして、対象の様子が変わっていくのを見ていたら、ちょっとした恍惚感が生じていた、みたいな。やや正確に言えば「手の動き」と「その様子を見た」ことから生じる、手作業が生む独特の快楽でしょうか。

あ、先日、立体物をつくりたくて、粘土買ったんですよ。油粘土。まずちょっと練習ってことで。粘土でなにかつくる場合、必ず「こねる」という手作業が要りますが、その「コネコネ」自体がなんか気持ちイイんですね。ちょっとした恍惚感があって、前述の「削る」「磨く」なんかにある感覚と似ています。まったく別の作業ですが、包丁を「研ぐ」にも、これらと近い恍惚感があるように思います。

ちょっと伝えにくい「ハマり」であり「恍惚感」なんですが、使いやすい筆記具からもそれを感じられたりします。筆者の場合、シャーペンで何気なく絵を描いたり、とくに意味の無い線を繰り返し描いていると、な~んか気分良くハマれることが多いです。軽い「ナチュラルハイ」状態なんだろうと思います。

ステッドラーの製図用シャーペン。2Bや4Bの芯を入れて落書きすることが多いですが、(筆者にとって)心地良く線が書けるからか、「ただただ手を動かして線を描く」ということ自体が一種の快楽として感じられます
こちらはぺんてるの極細シャーペン。このシャーペンで細かな線を速く何度も描くのが気持ち良く、これまたちょっとしたハマり状態に

これら「ハマり状態」に共通しているのは、「作業にハマると考えなくなること」だと思います。手先の動きやそれを捉えた視野などの情報で、脳内がいっぱいになっちゃう? うまくハマると周囲の雑音が意識されなくなったりして。直後「ハッ」と我に返ったりもして。

考えてみれば、頭のなかで整理がつかないときや、モヤモヤとスッキリしない感じがあるとき、考えても無駄な小さな悩みがあるようなとき、筆者は上記のような「ハマり」を求めて手を動かしていることが多いです。また、そうするとモヤモヤや悩みに一区切りがつくような経験が多々。手を動かすと、なんかイロイロと頭のなかのネガティブ要素が低減しているように思えてなりません。

身近でこの「ハマり状態」をつくれるのは、手軽さから言えば、やはりダントツで筆記具じゃないでしょうか。たとえばシャーペンで紙に図形を書き、それをキレイに塗りつぶしていくと、けっこうすぐに無心になれると思います。万年筆だと、独特な紙へのアタリがありつつ、ペン先が紙を擦る音もあって、独特の心地よさとともにハマれることが多い気がします。筆もいいですね~、でも筆はちょっと手軽さには欠ける?

あんまり説得力がありませんが、新年度を迎えて頭のなかにちょっとしたモヤモヤが生じたら、筆記具をただただ走らせてみてください。ちょっとスッキリするかも。ちょっとのスッキリでも、塵も積もれば何とやらで、ダルい新生活を後押ししてくれるかもしれません。