こどもとIT

1人1台で先をゆく熊本県高森町の取り組みから見えた、地方自治体がICT教育を成功させる条件とは?

熊本県阿蘇郡にある「高森町」は、以前からICT教育関係者の間で知られた自治体である。

言うまでもなく、現在ICT教育の現場で大きく注目を集めているのは、文部科学省が推進する「GIGAスクール構想」だ。小中学校に1人1台のPCを配備する予算措置により、これまでICT環境整備が遅れていた地方自治体も、ICT機器の導入が可能になった。本来は数年かけて実施される計画だったが、COVID-19の感染拡大による社会状況の変化により、今年度中の配備が前倒しされて行なわれることになった。

このため、全国の自治体でPCやタブレットの導入が進められているが、高森町では既に数年前からそうした環境を実現しており、現在は、それをどのように使って教育活動を充実させていくかという段階に移行している。2020年11月27日には「熊本県高森町『新たな学び』研究発表会」というオンラインでの研究発表会が開催され、同町の取り組みが公開された。

高森町のICT教育の取り組みが成功した背景には、ある理由があるという。今回のイベントの取材などを通じてその理由が浮かび上がってきた。

高森町立高森中学校で開催されたオンラインによる公開授業の様子

1人1台体制を実現し、ブロードバンドやクラウドサービスも完備した高森町

様々なITソリューションを取材する記者という仕事柄、筆者も多くのICT教育の現場を取材しているが、今回の高森町の取り組みほど進んでいるICT教育は見たことがない、それが正直な感想だ。

高森町は大分県と宮崎県との県境に位置する熊本県の内陸部にある地方自治体で、阿蘇山の山麓にあり阿蘇山の雄大な自然や景観が楽しめる観光地としても知られている。同町が公開しているデータによれば面積は175.06平方km(2015年3月調査時)、人口は2020年(令和2年)11月末の段階で6,266人と公開されている。

そうした高森町だが、以前から先進的なICTの取り組みを実践している自治体としても知られている。文部科学省のGIGAスクール構想より前に、1人1台体制を実現させ、遠隔授業や課題解決型学習などの教育にも取り組んでいる。つまり、ICT環境を整備するという段階はとっくに終えており、今はそれらを使ってどのように教育を充実させるのかという段階に入っている。

高森町では遠隔授業も本格的に実施されている

高森町のICT支援員である山室泰士氏によれば、同町が導入したのはDynabook株式会社(以前の東芝のPC部門で、現在はシャープの子会社として独立した企業としてPCを販売しているメーカー)のdynabook D83という2-in-1型のタブレットPCになる。

いわゆる脱着型の2-in-1型デバイスとなり、キーボードとタブレットが分離する形状になっており、クラムシェル型ノートPCとしても使えるし、単体のタブレットとしても使える形のデバイスとなる。CPUはインテルの第8世代Coreプロセッサーを搭載しており処理能力も十分で、付属するペンをクリエイティブな作業に利用したり、手書きメモをとったりと様々な用途に使えることが大きな特徴と言える。

高森町が導入している「dynabook D83」

各学校へのブロードバンドの導入も既にすんでいる。高森町内の光ネットワーク事業者により各学校に光回線が引かれ、各教室にはWi-Fiのアクセスポイントが完備されており、生徒たちは快適なネットワーク接続が可能だという。

また、高森町ではクラウドの導入も積極的に進めている。導入しているのはGoogleが提供しているG Suite for Educationで、教師と児童生徒、そして各教室に1台ずつ導入されている電子黒板に1つずつアカウントを割り当てて利用している。このため、今後はChromebookの導入も計画されており、今年度中には小学校低学年などに導入される計画だという。

町長主導の「情報基盤整備」に、半導体メーカーのインテルも協力

このように非常に充実したインフラを構築している高森町だが、そうした環境を構築できた理由として、高森町教育委員会教育長 佐藤増夫氏(2011年7月から現職)は高森町長 草村大成氏(2011年4月から現職)の町政にあるという。2012年3月に策定された“高森町新教育プラン”が町長、教育長の下でこの10年高森町の教育を創り上げてきた。

高森町教育委員会教育長 佐藤増夫氏

佐藤教育長によれば「高森町新教育プラン」は、ICT利活用を目標に掲げていないという。同町がめざす教育は、子どもの学力と豊かな心の醸成が1番目であり、その次に行政と地域が協力する学校の教育環境の整備などであるという。

佐藤教育長は「ICTの利活用というのは目的ではなくて手段。しかし、ICTを利用した教育には予算が必要になるので、行政と協力して徐々に導入を進めてきた。まず平成23年度の予算で電子黒板を各学級に1台配備することから初めて、徐々に導入してきた」との通りで、一夜にして実現したのではなく、確かな教育理念に基づく“高森町新教育プラン”を通したICTの導入・活用であるという。

ICT活用が目的ではなく、あくまでも手段。伸ばしたいのは、子どもの学力と豊かな心の醸成

そうした中では、町だけでなく外部のベンダーとの協力関係も築いてきたと佐藤教育長は説明する。佐藤教育長は「教育への利活用には住民の理解、社会的受容性が大切で、そのためには、風を読み、風に乗り、風を興すことが重要になる。そういうと、どうしたら風を興せるのか?と聞かれるが、実はそのことにインテルという企業の存在はとても大きかった。インテルには様々なご支援を頂き、高森町教育委員会、熊本県教育委員会、そしてインテルの三者でプログラミング教育とキャリア教育で連携することを2017年に発表し、取り組みを進めてきた。こうした活動によって、ICTに興味がなかった人にもICTを利活用した教育が大事なのだという理解が進んでいった」と述べ、教育におけるICTの利活用の理解に向けて、インテルのようなITベンダーの陰日向の協力が大いに役立ったとした。

佐藤教育長によれば、実際インテルは同町が重視しているキャリア教育にも協力してもらっており、インテルの社員が高森町の中学生を前に国際化や情報化に関して講演をしたという。「インテルのような世界的な企業の観点から国際化や情報化に関しては話してもらうことは、今の時代、世界ではこうなっているのだと子どもたちの意識を変えるという意味で大いに効果があった」(佐藤教育長)。ICTを利活用するだけでなく、その先にある子どもたちの未来に対して、ICTがどのように関わっていくのかを理解してもらう上でも大きな効果があったとした。

キャリア教育の授業風景
プログラミング授業の様子

2-in-1型デバイスとクラウドを活用し、インタラクティブな授業や宿題を実施

1人1台のPCは高森町ではどのように使われているのだろうか。2020年11月27日にオンライン開催された「熊本県高森町『新たな学び』研究発表会」では、高森町立高森中学校で実施された3年生の数学の授業を視聴した。前出のdynabook D83を活用した授業の様子が公開された。

高森中学校3年数学の授業を担当された松野孝博先生

授業では学校内にある雨量計測用のポールの高さを、ポールまでの距離と角度を測り、計算によってポールの高さを求める課題に取り組んだ。生徒たちは授業で学ぶ前に家庭学習として、dynabook D83のリアカメラで分度器を撮影して答えを求めようとしたり、紙に自分の答えをまとめてリアカメラで撮影し、それをクラウド上にアップロードしたりと、課題に対する自分の考えをまとめ、事前に共有している。それに対して、教師が授業前にコメントをつけ、本日の授業を迎えている。

G Suite for Educationを活用して自分の答えをクラウドにアップし、クラス全員の考えを共有

実際の授業では生徒たちはグループに分かれて、議論をしながら答えを出していき、グループごとにプレゼンテーションを行なう形で答えを発表した。その過程ではPCを使って答える生徒もいれば、逆にPCを使わずに紙で答えを出す生徒もいて、そのあたりの使い方は生徒の自主性に任されている様子がわかった。

そして何よりも驚いたのは、生徒のタイピング能力の高さだ。同町の佐藤教育長は「誰が視察に来られても生徒のタイピング能力の高さに驚かれる」との通りで、どの生徒もビジネスユーザー並に高速にキーボードを利用してタイピングしている様子は印象的だった。

高森町では児童生徒のタイピングスキルの向上にも力を入れている

プレゼンの終了後には、自分たちの答えを出すまでの過程を、クラウド上のフォームで自己採点を行なうという、生徒一人ひとりがPCを使いこなしている様子が公開された。なお、松野先生によれば、そうした授業でなかなか理解できない生徒のためには、あらかじめ作成しておいた動画配信を見てもらうなどのフォローアップにも1人1台のPCが使われているとのことだった。

1人1台のPCの活用はもちろんだが、そこにフォームや動画配信といったクラウドサービスをしっかり組み合わせて授業に活用している様子が伺われ、先生が工夫しながらPCやクラウドを活用していることには正直感心させられた。

ICT教育を本当に成功させるには、首長が熱意をもって推進する必要がある

このように、高森町では既にPC1人1台の導入が終わっており、それを活用した本格的なICTを利用した授業が行なわれている。今回の研究発表会では、紹介した数学の授業以外にも、中3の美術、小6の英語、小6の理科、小5のプログラミングなどの授業が公開されており、いずれもICTを先生が上手に活用している授業になっていた。それもこれも、GIGAスクール構想以前からPC1人1台という環境を構築してきた高森町の方針によるところが大きいだろう。

早くから町の方針としてICT教育に力を入れてきた高森町。プログラミング教育も積極的に取り組んでいる

高森町でこうした環境を実現できた理由に関して佐藤教育長は「首長のリーダーシップのおかげだ」と説明する。佐藤教育長によれば、同町の草村大成町長は就任当時40代前半と若く、町長に立候補した時の政権公約の中にICTの利活用を入れていたのだという。その町長自身が教育にICTの利活用を推進するエンジンとなって、行政と教育委員会が同じ方向を向いてきたことが同町の学校でICTの利活用が進んだ最大の要因だったのだ。その熱意が教育委員会とインテルという世界的企業をも動かし、現場の先生方を動かし、そして生徒が自ら学んで行く。そうしたポジティブなスパイラルの中に高森町はいる。

実はICTの利活用が進んでいる自治体には、そうした例が少なくない。例えば、MicrosoftのSurface Go 2を小中学校に多数導入することを発表した東京都23区の渋谷区も、ICTに積極的な区長がそうした推進役の一人になっていることはよく知られている。逆に言えば教育におけるICTの利活用を本気で成功させようと思うなら、首長がそれに対して熱い熱意をもって取り組まないと成功は覚束ない。ぜひ全国の自治体には、教育の成果を出すためのICT利活用のポイントを、高森町の取り組みから感じ取ってほしい。

笠原一輝

1994年よりテクニカルライターとして活動を開始し、プロフェッショナルライターとして25年近いキャリアがある。90年代はPC雑誌でライターとして、00年代からはPC WatchなどのWeb媒体を中心に記者、ライターとして記事を寄稿している。海外のカンファレンス、コンベンションを取材する取材活動を1997年から20年以上続けており、主な分野はPC、半導体などで、近年はAIといった分野での執筆が増えている。また、2008年からはインプレスのCar Watchに寄稿を開始しており、日本モータースポーツ記者会(JMS)の会員としてCar Watchにモータースポーツ関連の各種レポートの他、自動車向けのITソリューションの記事を寄稿している