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美術館が「路上」を問う意味 金沢から渋谷へ「路上、お邪魔ですか?」展
2026年10月22日 08:20
2026年4月25日から9月6日まで石川県金沢市の金沢21世紀美術館で開催されていた「路上、お邪魔ですか?」展は、美術館で開催する展覧会としては異色の内容で、いろいろな分野から注目が集まった。同展覧会は9月19日から東京都渋谷区の松濤美術館に開催館を移して展覧会が実施されている。
一般的に美術館や博物館の企画展・特別展などは各地のミュージアムを巡回することは珍しくないが、金沢21世紀美術館の展覧会が巡回することは稀で、しかも今回は開催館が渋谷に立地していることから、渋谷という街に合わせた展示色を強めている。
話題となっている「路上、お邪魔ですか?」展は、どのように企画され、どのような意図を伝えようとしているのか? 金沢21世紀美術館と松濤美術館で、それぞれ企画を担当した本橋仁さんと木原天彦さんに話を伺った。
会期:2026年9月19日~11月23日
会場:松濤美術館
入館料:
一般1000円
大学生800円
高校生・60歳以上500円
小中学生100円
金沢の変化を映した「路上、お邪魔ですか?」
――金沢21世紀美術館で開催されていた「路上、お邪魔ですか?」展は、好評のうちに閉幕しました。開催前から異色の展覧会という評判が出ていましたが、どういった経緯で企画をされたのでしょうか?
本橋:金沢と松濤の「路上、お邪魔ですか?」展は、巡回なのでもちろん多くの作品は共通していますが、それぞれの地域の特性に基づく問題意識は異なっていると感じます。
私は金沢21世紀美術館に勤務しているので金沢について説明しますと、私はもともと建築史を専攻していて、今は金沢21世紀美術館という現代美術館でキュレーターをしていて、金沢に来てから4年目になります。
全国には建築のミュージアムがあり、金沢にも2019年に開館した谷口吉郎・吉生記念金沢建築館といった世界に向け建築文化の魅力を発信するミュージアムがあります。
そうした建築を伝えるミュージアムがある中で、この美術館は、建築それ自体も建築史においてメルクマールな存在と認識し、時代を変えた建築と捉えているんです。日本のみならず、世界の建築史においても同じことが言えて、現代建築の代表選手と思っているほどです。
金沢21世紀美術館は2004年に開館し、すでに四半世紀近い歴史があります。そのため、当初のコンセプトが薄らいでいる部分、変化している部分があります。例えば、当館は建築家の妹島和世さんと西沢立衛さんの建築ユニットSANAAが設計しましたが、そのコンセプトは“公園のような美術館”というものでした。
美術館の構想が持ち上がった当時、国内で現代美術館は多くありませんでした。そのため、市民の間からも、「なんで現代美術のミュージアムをつくるのか?」といった批判があったようです。
当時の市長には、「伝統的な金沢の日常に現代美術館を入れる」という考え方があったようです。要するに、市長は「伝統があり、現代もある都市」をコンセプトに金沢21世紀美術館を構想していたんです。
市長の言葉を借りれば、金沢21世紀美術館のコンセプトは「割烹着姿でも来れる美術館」ということでした。そうしたコンセプトに加えて、SANAAが“公園のような美術館”という提案をしました。
美術館がオープンした当初、これまでの美術館とは一味違うので市民にも少し戸惑いがあったようですが、それから20年以上が経過し、今はすっかり市民にも定着しています。また、観光客など市外から訪れる人たちにとっても金沢の風景に溶け込んでいると認識されるようになりました。
金沢21世紀美術館はSANAAが提案した“公園のような美術館”を体現するため、無料ゾーンが設けられ、その一画は基本的に朝の9時から夜の10時まで、正月を除く一年中開放しています。毎日13時間も開放したことで、開かれたミュージアムという感覚が市民にも周知されるようになりました。
金沢の日常風景になった美術館ですが、そこに変化の波が押し寄せます。それが2015年に北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業したことです。これにより、東京からのアクセスが容易になりました。その影響から、観光客・来街者が一気に増えたのです。そして訪日外国人観光客も増えていきます。インバウンド効果も手伝って、来館者は年間200万人まで増えました。繁忙期は1日に2万人が来館することも珍しくありません。
そうなると、美術館の周辺だけに人口密度の高い状態が生まれ、市民から「金沢21世紀美術館は行かなくなってしまった」「わざわざ人が多いところに行く気がしない」といった声も聞きます。
これはSANAAが提案していた“公園のような美術館”というコンセプトから大きくズレ、観光地化しているということです。個人的には、それは時代の変化のなかで、致し方ないと思っています。ただ、当初のコンセプトからずれていることを受け止め、公園のようなというコンセプトから、考えを改める必要があるのでは?と思ったのです。「路上、お邪魔ですか?」展は、そうした金沢21世紀美術館の観光地化という位置付けをポジティブにも考え直すことを意図したものです。
――金沢21世紀美術館は、伝統的な街並みを残す金沢で異色な美術館です。金沢21世紀美術館についても、改めて説明をお願いできますか。
本橋:同館設計者のSANAAは、2010年に建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞しています。そうした優れた建築家による建築的な価値だけではなく、館内の動線や展示室の配置、さらにミュージアムを取り巻く公園をはじめとした外的環境も重要だと考えています。
一般に、美術館は展示物が何よりも重要ですが、素晴らしい展示物を揃えるだけでは役目を果たせず、愛される美術館にはなりません。美術館の建物そのものがいかに素晴らしくても、それだけでは単なるハコになってしまいます。
そうしたことを考えると、来館者の動線や作品の配置といった内観にもこだわらなくてはいけませんし、展示の鑑賞だけではなく、ミュージアム周辺に住む住民、金沢へ観光で訪れた人たちにも親しまれるような親近感のある空間にしなければなりません。
少し話はそれますが、私は東京の青山にある「スパイラル」という建築が好きなんです。スパイラルの設計者は槇文彦さんで、そのコンセプトは「都市の中に孤独を愛する空間をつくる」です。孤独という言葉は、どことなくネガティブなイメージを与えてしまいますが、槇さんは今の東京の中に必要な公共の空間と主張しているんです。
確かにスパイラルは、ふわっと入って、都市の街路に向かって椅子が置かれていて、その街を見下ろせるような構造になっています。それでいてワイワイとにぎやかな場所にはなっていません。私は一人でよくスパイラルに足を運びますが、都会の中にあって一人で佇んでいられる場所なんです。
こうした都市の孤独というのは、80年代の特に東京の都市における病理でもありました。人に溢れ孤独になれない都市だからこそ、独りになれる空間を、東京のどまんなかに生み出そうとした。それが公共空間の姿だと捉えたわけです。
それが金沢21世紀美術館ができる20年前の公共の概念です。そして、金沢21世紀美術館が生まれ、さらに20年経った。あらためて公共の概念を振り返り、そして現代を考える。そうした考えから、「路上、お邪魔ですか?」展のコンセプトが少しずつ固まってきたんです。
新しい公共の空間は「どうあるべきか?」という問いそのものを、建築的な歴史のなかで問うというアプローチでもあります。
私は、この展覧会は建築展だと考えています。建築を専門にしていますが、一般的に世間から建築はイコール建物とイメージされがちです。建物はあくまでも建築を構成する一部であって、もっと広い概念だと考えています。
例えば、写真・映像において表出する建築もあります。映画でも最近は、建築映画というワードも見かける機会が増えていますが、そういうものも含めて建築の表れだと考えています。
建築家の青木淳さんは建築文学を掲げてアンソロジーを編んでいますし、2024年に芥川賞を受賞した九段理江さんの『東京都同情塔』といった小説も、建築小説だと読まれもしました。そういうものも建築の表れです。そういう意味から考えると、建物イコール建築ではないんです。
大学で建築は割と工学系の学部に置かれていますが、東京藝術大学は美術学部に建築学科があります。そういう芸術の分野にも建築は存在し、古今東西、建築は芸術なのか?ということが問われ続けてきました。
1920年には日本で初めての近代建築運動とされる分離派建築会が東京帝国大学を卒業した建築家を中心としたメンバー6人で立ち上げられていますが、分離派建築会は建築が工学偏重になっていることに対して、建築の芸術性を主張しています。
私はこの分離派の展覧会「分離派建築会100年 建築は芸術か?」(パナソニック汐留美術館、京都国立近代美術館)という展覧会を企画したこともありますが、分離派建築会の「建築は芸術か?」という問いに正解はないと考えています。ただ、自分のスタンスとしては建築に芸術という一側面があり、建築を芸術だと断定しています。
都市空間における「路上」 渋谷ならではのテーマ
――本橋さんが考えた企画をベースに21世紀美術館で「路上、お邪魔ですか?」展は開催されました。そして、東京・渋谷の松濤美術館でも開催することになったわけですが、その経緯をお話しいただけますか?
木原:本橋さんから話があったのは、2年ぐらい前です。最初は、路上観察学会の40周年記念ということだけ決まっていました。路上観察学会と80年代の消費社会の関係には関心があったので、すでにこれだけでもパルコや西武などを中心に広告都市として論じられた80年代の渋谷を文脈として、展覧会が組み立てられそうだなとは思っていました。
その次にコンセプトの原案が共有されたのですが、この時点で文章の冒頭にはすでに、「路上、お邪魔ですか?」というタイトルが掲げられていました。それを読んですぐに、パブリックとプライベートが接近し、高密度、かつ入れ子状に集積した都市空間においてこそ、「路上」というテーマが切実な問題となるのではないかと直感しました。
渋谷でいま行なわれている歩行者中心のウォーカブルなまちづくりや駅前再開発、そして路上生活者の殺人や排除の問題があったことも、渋谷でこの展覧会を開催し、路上の公共性を改めて考えるべきだと判断した大きな理由になっています。
ひっくるめて言うと、大都会における包摂と排除を考えるヒントが、企画の中にたくさん込められていたということが大きいですね。
美術館には洋画とか日本画とか彫刻と現代美術とか写真、版画というカテゴリーがありますが、その中に建築というカテゴリがあってもいいと私は考えております。企画展や特別展ではなく、常設展でも建築のコーナーがあってもいいと思っているぐらいです。
実際、美術館の常勤スタッフではなくフリーランスで美術館の企画展・特別展を手がけている建築キュレーターはたくさんいます。そうした美術館の外から建築というアプローチをすることもできますが、私はあくまでも中の立場から美術館に日本画や西洋画、彫刻といったジャンルと横並びになるような状況をつくり、それにより美術館にも建築の専門家がいることが当たり前になるようにしていきたいと考えています。
――木原さんは建築を専門にしているわけではないのですか?
木原:現在では建築史を肩書に加えていますが、元はといえば私は美術史を学んだ人間です。とはいえ、19世紀後半に美術史の一ジャンルとして建築史が発達してきた経緯も踏まえると、美術と建築は大変深く関係しあう隣接分野だと言っていいと思います。
なにより、渋谷区立松濤美術館は白井晟一という建築家が設計しているんですが、ここは美術としても、建築としても語ることのできる建物です。
白井自身が紅雲石と名付けたピンク色の花崗岩で覆われた外壁、狭い建築面積の実に6分の1を使った中央の吹抜け、そこに架かる一本の橋など短絡的な効率や機能、合理性を優先した設計ではあり得ないディテールが満載です。こうした造形物について理解するためには、美術として建築を考える視点は欠かせません。
そうは言っても、一般的に美術と建築のプロフェッションは別だとされているから、建築展を開催することには不安がないわけではありません。
美術館で建築を積極的に扱わないのは、やはり美術と建築は別分野と思われていることが理由だと思います。
一方で、私が関心を持って取り組んできた美術の制度論的研究の方法論では、それは技術美術という専門領域自体がいかなる社会状況の中で形成され、変化していったかということをメタ的に分析します。私は社会の様々な力学の中で芸術や美的な価値がどういう位置付けや役割を持って機能しているのかを考えてきました。だからそもそも、美術と建築は専門性が別だという常識自体が普遍的なものではないことは知っているし、だからこそ心のどこかで信用していないんでしょうね。
そして、建築には元から関心がありましたが、あるとき社会の様々な力学の中で形成され、機能している美的なものの代表選手が建築ではないかと気が付きました。制度論的なアプローチは建築という対象でこそ生きてくるということがわかったんです。 建築をフィールドにすれば、制度論と建築という2つの関心を、どちらも両立できるはずだと。
ルールと自由の間に生まれるもの
――先ほどもお話がありましたように路上観察学会が発足から40年を迎えたことも開催のきっかけになっています。路上観察と建築も、また少し異なる分野のように感じます。
本橋:企画者としては、本展は建築展だと受け止めています。ただ、出展作家に建築家はいませんし、そもそも建築を紹介した作品もない。当たり前ですが、金沢21世紀美術館で開催したときに来館者から感想を聞くと、必ずしも建築展だという受け止めはされていません。じゃあ現代美術の展覧会なのかというと、それも違うように捉えられています。ですので、ノージャンルという位置付けになるんでしょうか。
木原:私も、今回の「路上、お邪魔ですか?」展が建築展なのか? と問われると、それは微妙な気がしています。担当した学芸員の立場としては、美術展でも建築展でも、どちらでも構わないというスタンスです。
重要なのは公共性を問うというテーマですし、今回の展覧会が専門性の枠からはみ出した、あるいは専門性を否定したうえで成立する「路上」という対象を扱う以上、それを美術だ、建築だとジャンル分けすること自体にはそこまで意味はないのではないかと思います。むしろ検討すると面白いはずなのは「じゃないもの」としての路上という考え方。つまり人によって「路上」が何に対する「その他」なのかが違うということです。路上をどう捉えるかで、その人が持っている社会的なスタンスみたいなものが浮かび上がるところがある気がします。
もちろん、路上観察学会は建築家も中心メンバーのひとりですので、美術館で同展を開催するにあたって自然と建築の議論とも接続します。また、一般論として建築家たちはアーティストよりも熱心に公共性の議論を積み重ねてきたといえると思うので、その点でも発想のベースは建築にあるといってもいいかもしれません。
――金沢市では2017年に市庁舎前広場事件が起きています。同事件は、金沢市が市民団体に市庁舎前広場の使用を不許可にしたことが表現の自由を規制する憲法違反ではないかと最高裁まで争われました。21世紀美術館は公園のようなというコンセプトがあったというお話でしたが、金沢市庁舎前広場事件を意識することはありましたか?
本橋:私は東京で学生時代を過ごし、その後も京都などで研究員生活を送っていました。金沢21世紀美術館に勤めることになり金沢に移住したので、恥ずかしながら本展を企画するまで同事件を知りませんでした。本展の企画段階で人から教えてもらい、判決文を読んでみました。その感想は、金沢でオープンスペースの意義を問う事件が起きたからといって、金沢でオープンスペースを問う展覧会を開催しないという考えにはならないということでした。
要は、「路上、お邪魔ですか?」展の開催概要を記したパンフレットや図録にも「自由と邪魔が同居しています」と書きましたが、制度批判やイリーガルな中にある自由への渇望を伝えたいのではなく、私はこの展覧会の中でルールと自由の間に生まれる芸術にフォーカスしたいんです。
木原:前の話と矛盾をきたすようですが、その考え方は、とても建築家っぽいように感じます。これは本橋さんと企画段階で話していたことですが、美術、とくに近代以降に成立した前衛美術の考え方では、現体制を壊していく、あるいは体制の矛盾を暴き出す、個人表現のパワーを一方的に称揚する傾向にあります。1963年に赤瀬川原平・高松次郎・中西夏之の3名がハイ・レッド・センターという前衛芸術グループを結成しましたが、彼らはそういった体制批判的な前衛美術の日本における代表格です。松濤美術館でも過去に彼らの展覧会を開催していますが、赤瀬川さんはその後、路上観察学会の中心メンバーになります。
しかし、建築的な考え方では最初に体制や制度ありきです。そのうえで、公共の範囲を決定する政治の役割をきわめて重視します。建築は多くの場合に資本や行政の立場と結びついて実現されるものなので、そういう立場でどういう政治を実現するのか、ルールや制度をどのように再設定できるのかという問いと、公共のために最適解としての建築を構想することとは重なり合います。
だから、この展覧会がルールと個人の自由、両者を等しく重視したうえで、公共性の形を考えようという構えを取っていること自体が、すごく建築的ではないかと感じるのです。
都市の特色・都市の制約
――先のホームレス殺害事件のほかにも、渋谷において路上というキーワードではハロウィンを連想します。
木原:渋谷駅のハチ公前広場は、近年のハロウィンもそうですが不特定多数の人たちが集まることが当たり前の光景になっています。渋谷区は「渋谷はハロウィン会場ではありません」というメッセージの看板を出しましたが、同展はそうした行政に対するアンチテーゼを意図するものではありません。
そもそも今回の展覧会では、そこに問題が存在すること自体から目をそらすべきではないという考えから企画されています。
すぐに正解を導き出すことは困難な社会課題を扱っていますので、多くの人たちが一緒になって考える環境を整え、多くの人たちが関心を持つことで最適解へとたどりつくことを期待しています。
特に、路上生活者の問題については人命が失われるという重大事件にまで発展しているわけですから、それはテーマとしては入れよう、入れなければならないとの思いが強くありました。
そうした路上生活者の視点を盛り込むため、松濤美術館では迫川尚子さんが撮り続けてきた新宿ダンボール村の写真を金沢21世紀美術館の展覧会よりも多めに展示しています。
迫川さんは新宿駅東口にある老舗カフェ&バー「ベルク」の副店長を務めていますが、写真家でもあります。1996年から1998年にかけて新宿のダンボール村に通い続け、ホームレスの実生活を収めた写真集を出版しました。
金沢21世紀美術館と比べると松濤美術館は展示スペースが物理的に小さいので、展示した作品の点数は金沢より少ないのですが、路上生活者に関する展示の比重は金沢よりも増やしています。これは明らかに意図的ですが、展示の比重を増やすことで東京・渋谷という地域における路上の問題をはっきりと押し出せると考えたからです。
本橋:「路上、お邪魔ですか?」という展覧会名を、現代美術館でやることで、どうも体制批判のように感じられてしまうようです。それが作家、ひいては美術の役割だと誤解されていると、私は思います。本展に、その意図はないですし、むしろ体制側に寄っているのではないかと煩悶したぐらいです。
例えば、本展ではChim↑Pom from Smappa Group(以下、Chim↑Pom)の作品も展示しています。Chim↑Pomは渋谷駅にパブリックアートとして展示されていた岡本太郎の壁画「明日の神話」に付け足しをしたことで、それが軽犯罪法違反に問われました。
こうした行為によって、Chim↑Pomは一般的に反体制のアーティストといった見られることもありますが、今回の展覧会で出展されている作品は国立台湾美術館でも展示されたものです。これらは明確なルールをネゴシエートして、それを遵守しています。決して反体制ではないです。そもそも路上観察学会だって、90年代からは国から補助金を給付されて活動をしていたぐらいです。
――話を伺っていると、「路上、お邪魔ですか?」展は単なる作品を展示するだけの美術展ではなく、その都市と密接に関連していると感じます。
本橋:金沢21世紀美術館と松濤美術館、それぞれ展示には都市の特色が出ていると思います。例えば、松濤美術館では展示していませんが、金沢21世紀美術館では中村裕太さんと、まちなかに出ていく作品を、実際の電柱を使って新たにつくりました。
中村さんの作品は、景観法で制限が厳しい金沢で電柱をどこまでつくることができるのか? 電柱の看板はどこまで可能か? というチャレンジでした。
金沢は京都と同じレベルで屋外広告の規制が厳しく、それが金沢の歴史ある街の雰囲気を生み出しています。金沢21世紀美術館の周りも屋外広告が完全に禁止されているので、周囲にも屋外広告看板はほとんどありません。
そうした金沢の街で、電柱や電柱に付属する看板広告にチャレンジする。それも金沢市のルール下で可能な最大限のことを考えてもらいました。
金沢市の厳しい景観法でも、まったく看板を出せないわけではありません。かつて電柱広告は認められていましたし、街中の商店も看板を出していました。都市において、電柱広告や看板が街の景観を形成している側面はありますよね。
ところが、金沢では条例が制定されたことで、一律に規制されてしまうんです。ルールというのは、個人に個別に設定できるものではなく、関係性のなかで、ある一律に設定される宿命があります。
こうなると、すべてがひとつの方向に進まざるを得ない。金沢の電柱広告にしても、それにより屋外広告物がなくなり、綺麗な街は生まれましたが、その一方で無機質かつ画一的な街となります。それは同時に、看板がもっていた魅力や特色を喪失したとも逆説的に言えるわけです。それは、行政の持つ役割を負っているだけであり、一概に批判できません。しかしルールのなかでできることもある。今回は、作家と金沢市ががっぷり四つになり、実際にまちなかに出ていく作品をつくれたんです。これは、景観の価値観を問うという意味でも、大きな実験だったと感じています。
そのほか金沢21世紀美術館では、路上園芸鑑賞家の村田あやこさんが作品を出しています。村田さんは、よく民家の軒先で見かける、漬物樽やトロ箱などを使って園芸をしている人たちに着目したライターです。普段は美術作品をつくる作家ではありません。その彼女と、金沢では漬物樽に野菜を植え付け、それを30個、協力してくださった個人や商店のみなさんの家の前に設置しました。
そしてオリジナルのラベルがついた「路上園芸水」を展示室内に自販機を設置して販売し、そこに印刷されたQRコードを読み取ると植木鉢の場所がわかるような仕掛けを施しています。水を購入した人は、そこへ行って水をやるという仕組みです。美術館内での鑑賞だけではなく、鑑賞後に金沢の“路上”を楽しめる工夫をしています。
金沢市には2025年に年間で約621万人の観光客が訪れています。そういう観光目的の人は、どうしても観光地として金沢を見てしまいがちで、住んでいる人の視点が欠落してしまいがちです。
街の景観は住民によってできているという面があることは当然で、住民と観光客が一緒に植物を育てることを通して、街や住民に思いを馳せることを意識させたのが村田さんの展示といえます。
村田さんの試みは、金沢21世紀美術館の会期が終わった後も続いていて、水やりをした植木鉢から収穫した野菜で、協力してくださったみなさんとカレーにしてパーティーを開催しました。つまり、美術館内の展示だけではなく、外に飛び出して金沢という街そのものが展示作品になったということなんです。
木原:建築的に言うと、松濤美術館は金沢21世紀美術館とは真逆です。規模が圧倒的に小さく、街に開かれているというより閉じた美術館です。ここは石の壁で覆われていて、ほとんど窓がありません。
そうした美術館の構造自体が異なるので、自然と「路上、お邪魔ですか?」展の展示も金沢とは異なって閉鎖性という建築の条件を前提に考えるものとなりました。ただ、一方で松濤美術館は渋谷駅から徒歩圏にあり、都心部という立地です。
渋谷のスクランブル交差点やハチ公前広場もあり、それこそ今は路上のデモが頻繁に実施されています。生きたその路上の衝突が、すぐ目と鼻の先で起こっているという地理的な条件があります。だからこそ、そうした現場と美術館の中は違う世界であるということ、現場で起こっていることを美術館という閉じられた空間で再度落ち着いて考え直すという体験を重視しようと思いました。ただ、一歩美術館の外に出ればそこは路上です。現実と別世界は実際に行き来できるし、この立地だからこそ、行き来してほしいという思いがあります。
渋谷にある美術館で、路上をめぐる問いについて考え、再び渋谷の駅前や雑踏を歩けば、これまで見えなかったものが見えてくるかもしれません。
例えば、路上観察学会には坪庭という観察物件がありますが、その展示を見た後、建物や道路の凹みに苔が生えていることに気づいたりとか、そうした小さな街の構造物・工作物が気になるといった心境の変化があるでしょう。
あるいは、路上生活者の人が、実際にすぐそこで生活していることにも気づくことになるでしょう。美術館そのものが閉じていても、むしろ閉じているからこそ、考える場所になるんです。そして、展覧会とは本と違って身体の移動を伴う体験だからこそ、再び路上へと出ていくことができる。外へと再び誘い出すことができる力ともなりえます。
――金沢と渋谷で扱っているテーマは同じでも、見せ方によって来館者の受け止め方が変わり、路上に対する感じ方も変わってくるというのは面白いですね。
本橋:今回の展覧会は、やっぱり金沢だけで見せることは違うと企画の段階から感じていました。そして実際に開催してみると、来館者が「都市の展覧会」という感想を口にします。
扱っている展示物が渋谷とか新宿といった都会と結びつくものが多いことに起因していると思われますが、 そうした意見・感想を聞いても、都市のなかで見せた時に、どんな声が聞けるだろうとは思っていました。もちろん、金沢でやることが相応しくないという意味ではありません。
金沢21世紀美術館に来る方のほとんどは観光客です。だから、東京から足を運ぶ人は多いのですが、そうすると東京から来た人たちに、金沢で新宿を見せていることになるんです。そう考えると、より課題を感じている都市部の方々に、この展示を素直に見せれば、異なる反応になると予想していました。結果として、反応は想像以上でした。
木原:「路上、お邪魔ですか?」展は、展示物のボリュームや設置方法の観点から言えば、金沢21世紀美術館でこそ成立しやすい展覧会という側面は否定できません。松濤で開催するにあたり、展示の仕方とかスペースの問題など色々と考えさせられること、問題に直面したことは多々ありました。
そのような展覧会を松濤美術館に持ってくるわけですから物理的にあきらめざるをえない展示物もありました。
例えば、私は國府理さんの《自動車冷蔵庫》という作品を展示したかったのですが、松濤美術館だと、間口が狭くて、館内へ入れることを断念せざるを得ません。また、重量の問題で展示できないものもありましたし、ゲームは来館者が滞留してしまうことで動線を確保できず混乱を生じさせかねないという理由から断念しました。
そうなると展示物の取捨選択をしなければならなくなり、渋谷で紹介する意義のあるテーマ・展示という観点から優先順位をつけて絞り込むことになります。渋谷で紹介しなければいけないテーマを考えると、やっぱり路上生活者の展示は多く入れなければいけないと考えました。
そして金沢にはない作品、渋谷でのみ展示している作品もあります。それが建築家集団GROUPの都市計画に関する展示です。
今、渋谷は大規模再開発の真っ只中にあります。そうした中でオルタナティブな都市計画として、その路上生活者への視点から始まる都市を構想してくれないかと依頼したことから生まれた作品です。
――展覧会の図録(特大号「路上、お邪魔ですか?」)についてもお伺いします。本展の図録は新聞形式でサイズが大きく、通常の展覧会図録とは大きく異なっています。図録に込められた意図をお伺いできますか?
本橋:去年、京都で開催した路上観察学会の39周年の折に、号外「路上、邪魔ですか?」を出しました。これは美術館とは関係ない媒体です。そして、その後にフィルムアート社から特報「路上、お邪魔ですか?」が展覧会前に発刊されました。いずれも新聞、そしてどこか、展覧会とも直接的に紐づかないメディアなのです。
今回の図録が新聞のような形態になったのは、メディウムと呼びかけは統一しながらも、なにか時間とともに並走する、あるその瞬間を捉えたメディアにしたいとおもったからです。号外とか特報とか名称にすることは、少しばかり大仰にも感じますが、他方で、その瞬間を伝えているという印象を残すことができます。
図録についていえば、展覧会の作品とは紐づかない、20本を超える論考をいれているという時点で、そもそも図録というイメージからも距離を取りました。
そのほかの理由をあげるとしたら、「路上、お邪魔ですか?」展の展示物や内容は、社会に大きな影響を受けて生活と密接しています。そのため、日々刻々と本展や本展の展示物は意味が変わっています。仮に、来年に「路上、お邪魔ですか?」展を開催するとしたら、展覧会の内容も展示物もまったく違ったものになるでしょう。
私は体裁の決定に関わったわけではありませんが、特に、本展とも関連する路上観察学会が見つけるものはテンポラルですから、そこにずっとあるわけではなく、すぐ移り変るようなものが多いんです。そして移り変わるからこそかけがえがない。そうした感覚にマッチする媒体は、やはり新聞だったのだろうと思います。
路上の公共性は時代や地域、そのときの環境によって変わっていきます。つまり、路上には普遍的な答えがありません。
展覧会の企画趣旨や内容、展示物の鮮度を考えた結果、日々の時事を伝える新聞という形式の図録にすることが展覧会の趣旨とも合致し、それを伝える媒体に相応しいと考えたのです。












