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これからのお金と暮らしを立ち止まって考える

職業、詩人。就職や進学を選択しなかった文月悠光が「言葉」を仕事にした理由

【文月悠光 インタビュー前編】

園田菜々 2018年5月29日 07:00
中原中也賞を最年少で受賞し、JK(女子高生)詩人として一躍注目された文月悠光さんは、大学卒業と同時にフリーの詩人として活動することを選ぶ。詩集の発行を始め、詩の朗読やアイドルへの歌詞提供、新刊『臆病な詩人、街に出る。』(立東舎)などのエッセイや書評の執筆など、幅広く活躍をする彼女に、「詩人」という職業や、就職しないという道を選んだ経緯について伺った。

就職や進学をすることで、詩の仕事をセーブしてしまうのはもったない

文月さんはどこかに就職するという選択はせず、大学卒業と同時にフリーとして詩人になったんですよね。

文月悠光(以下、文月):正直、そんな博打のような選択をするつもりはなかったんですけどね。当初は親の勧めもあって、教員免許をとろうと思って教育学部に入りましたし。でも、実際に入ってみたら教職の授業をとりながらこの仕事をするのは難しいな、とか、そもそも先生に向いてないな、と気づいてしまって。

一時期は大学院に進学するつもりでしたが、大学四年の年に仕事がすごく増えたんですね。ここで就職したら詩の仕事をセーブしないといけなくなる。それはもったいないな、と思って、フリーで仕事を続けていこうと決めました。


エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)でジュース屋さんのアルバイトをした話を読んで、正直、詩人という仕事だけでは食べていくのが難しいから始められたのかな、と思っていたのですが。バイトをしようと思った動機は何だったんですか?

文月:お金が動機ではないですね。朝から昼は外で働いて、夜に執筆する、というリズムを作りたかったんです。実は、賞金や大学4年間の原稿料はほとんど貯金にまわしていました。生活費や交際費は実家の仕送りで間に合っていて。それも今となっては、親というセーフティーネットがあったお陰だなと思います。なので、経済的な面でそれほど切羽詰まっていたわけではなかった。

ただ、ジュース屋さんで働いたことは、精神的な逃げ場にはなっていたと思います。卒業して間もない頃で、将来が定まらない焦りをアルバイトで発散させていた部分もありました。「ひとまず働けているから大丈夫だ」という変な安心のさせ方を自分にしていて。

精神的な逃げ場として副業をしていたんですよね。ただ、そんなことのためにバイトをしているなら、もっと本業と向き合って方向付けした方がいいと思って、最終的には辞めることにしました。


今は当時と比べて不安などはなくなりましたか。

文月:決して満足しているわけではないんですけど、卒業したばかりのときの取り残されたような感じはなくなりましたね。当時は、周りの同世代の子たちがキラキラした社会人として次のステージに進んでいるのに、私は学生時代と変わらず書く仕事にとどまっている、という感覚があったんです。今はさすがにもうないですけどね。


「制約」が自分の詩に新しいイメージを与えてくれる

文月さんは高校生で詩人としてデビューされていますが、「詩を書くこと」に対する心境の変化などはありましたか?

文月:どうでしょう。正直、新人賞をいただいたのが高校二年生のときなので、それ以前となると……。ただ中高生時代から、月に一度「現代詩手帖」など雑誌の投稿欄に詩を送るなどしていて、もともと締め切りに向かって書くというスタイルはもっていました。

変わったことといえば、「作品として形にならなくても、とりあえず手を動かして書いてみる」という癖がついたところ。あとは、映画を観たり、音楽を聴いたり、展示に行ったりしたときに、その作品から得たイメージを自分の言葉として残しておいて、ストックとしてためておくようになりました。そうすると、何か依頼があったときに、「あの展示のときのようなイメージかな」という形で素材として使えるので。偶然の思いつきに頼るのではなく、自分の中の引き出しを豊かにしておくことを意識するようになりました。


依頼されて「仕事」として詩を書くこともあると思いますが、その際に自由度が制限されることについてはどう思いますか?

文月:やはり、大なり小なり、媒体の制約が詩の中に入り込んできますね。たとえば、新聞だと載せる欄が決まっているので、行数の指定や、新聞の読者である年配者もしくは子どもでもわかるような言葉を使う、という暗黙の了解のようなものはあります。「この写真に合うような言葉を寄せてください」といった指示を受けることも多いですね。


それって、書く側からすると鬱陶しさを感じることはありませんか?

文月:いや、それが刺激的だなと思います。素の状態だとためらう表現が、依頼していただいたおかげで世に出るというのは面白いです。

そのきっかけとして特に印象深かったのは、数年前にいただいたある企業文化誌のお仕事です。「掲載されるページのファッションの写真に合うような詩を書く」「掲載号の特集テーマに合わせた内容にする」「◯◯という言葉を入れ、12行以内で書く」など制約が多かったんです。普段の自分の詩だったら使わない言葉を取り入れることになり、初めは難しさを感じました。

ただ、文字だけの表現と違って写真の情報が追加されることで、少ない言葉でもよりインパクトを持って伝えられる、という気づきがありました。意味の部分は写真が説明してくれるので、詩では言葉の響きに重点を置いたら、面白いものができあがった。そうやって、自分の思いもよらないものができるのが楽しいんですよね。


てっきり作家さんは自由にやりたいのではないかと思っていました。文月さんのように制約を楽しむタイプは少数派でしょうか。

文月:いや、そんなことはないと思いますよ。多くの詩人は、制約を与えられたらそれを打ち返す力を持っていると思います。もともと、自力で表現の型を築いてきた土台がありますよね。だから他人が設定したハードルにも、その土台を生かして、期待以上の力を発揮できるのではないでしょうか。むしろ頼む側が、いろいろ指定したら失礼なんじゃないか、と遠慮されることが多い印象ですね。


会社員として働く自分を想像すると、やはりコスパを考えてしまうんです

仕事の管理はすべて文月さんがご自身でされているそうですが、パンクしませんか?

文月:フリーってそこが難しいですよね。頑張ったら頑張った分だけお金が入ると思うと、今頑張らないでどうするんだ、ってなってしまう。次があるかわからない分、その一回で最高のパフォーマンスを上げないといけない、という必死さもありますし。ただ、今はまだパンクするほどじゃないですよ。


ちなみに、早いうちからデビューをして、ずっと詩人として仕事をしている中で、辞めたいと思った瞬間などはありますか。

文月:辞めたいと思ったことですか。うーん、ないですね。

そもそも「詩人」という肩書き自体、あまり領域が定まっていませんよね。最低限「詩を書いている」という前提はありますが、詩の書き方や読み方を教えているのも、詩を書くという技能を生かして他の作家さんの書いた本を書評するのも、エッセイ集を出すことも、すべてひっくるめて詩人としての仕事と言える。「詩を書いて食べています」というと怪しいんだけど、「詩も含めて言葉周りのことを全て請け負っています」というと現実に近いかな、と思います。

あとは、まあ、会社員として働く自分が想像できない、というのはありますね。労働力のコスパを考えてしまう。


コスパ。

文月:たとえば、会社に属して、エッセイ一本の字数と同じくらいの――例えば4000字の企画書を頑張って書いたとしても、月々のお給料は基本的に変わらないじゃないですか。固定給は安定につながるんですけど、フリーだとしたら、その4000字を頑張ったら、別のところで評価されて、また違う大きな仕事につながるかもしれない、という夢があるわけです。

私は、安定よりも、いま作っているものが別の大きな仕事につながるかもしれない、遠い誰かに届くかもしれない、という可能性に惹かれているんだと思います。フリーランスでいた方が、その可能性やスリルをより強く感じられますよね。


文月悠光(ふづき・ゆみ)
詩人。1991年北海道生まれ。16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年の時に発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少で受賞。その他の詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、『わたしたちの猫』(ナナロク社)。近年は、エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)が若い世代を中心に話題に。NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、詩作の講座を開くなど広く活動中。

ウェブサイト:http://fuzukiyumi.com/
最新刊:『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)



聞き手:園田菜々
1991年7月7日生まれ。フリーランスのライター。細々と書きながら生計を立てています。エンタメ関連のコンテンツ中心に執筆やインタビューなど。不安障害や軽度の鬱を経験してから、「生きやすさ」について考えたり、ブログ(https://note.mu/nanaso)を書いたりもしています。
Twitter→@osono__na7
Facebook→https://www.facebook.com/yuuhinosora


撮影:三浦咲恵