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これからのお金と暮らしを立ち止まって考える

何者でもなかった20代【佐藤亜沙美 インタビュー前編】

柴﨑朋実 2018年2月1日 10:00
2014年にデザイン事務所「サトウサンカイ」を設立した佐藤亜沙美さんは、書籍を中心に活躍する人気デザイナーだ。高校卒業後、漠然とビジュアルデザインに携わりたいと専門学校に入学するも、授業に手応えを感じられず中退。代わりに現場で技術を身につけようと会社員としてデザインの仕事を続けるなかで、ブックデザインという仕事、のちの師匠となるデザイナーである祖父江慎氏に出会った。やりたいことを実現するために何をしてきたか、そしてそのためにお金とどう付き合ってきたかについて聞いた。

10年でモノにならなかったら、すっぱり諦めようと思っていた

現在に至るまで、紆余曲折を経ていらっしゃいますね。

佐藤亜沙美(以下、佐藤):最初は広告デザインの仕事をしていましたが、どこかに違和感を抱えていたんです。その迷いに対する答えを探して本を読むなかで、本そのものに惹かれていきました。

ちょうどその頃ブックデザイナーとして活躍されている方々が雑誌などで取り上げられることが多くなってきた時期で、祖父江 慎さんや鈴木成一さん、池田進吾さんなどの記事を拝見していました。紙や書体やイラストの選定などの特集でとても惹かれたのを覚えています。

もちろん、なりたいからといってすぐなれるものでもないので、まずインハウスデザイナー(企業などに所属して、専属でデザインを行う働き方)として働き始めました。その職場は、教えたり教わったりできる環境ではなかったので、自分に何が足りないかがわからないまま模索する日々が続きました。

そこで毎日書店に行っていろいろな本を見て、ヒントを得ようと模索を続けていました。そんななかでよく目が合うのが、祖父江 慎さんがデザインを手がけた本でした。それから、祖父江さんの講演会があるたびに足を運んで当時デザインした本を見てもらうようになりました。「うーん」と言われながらも、何度も何度も。


突撃というか、押し掛けのような……。

佐藤:はい、完全なルール違反です(笑)。「私が知らないことを知っていて、答えを教えてくれるのはこの人しかいない」という直感のままにうかがっていました。うまくいかないもどかしさを前に、とにかく必死で。祖父江さんに聞くしかないと思っていたんです。

講演会などに足を運ぶうちに、祖父江さんと本屋さんで偶然出くわして、直接お声かけするという幸運も重なり、「今作っている本(※)の手伝いでよければ来てください」と声をかけてもらい、出版社勤めを続けながらお休みの日などにお手伝いさせていただくことになりました。

『祖父江慎+コズフィッシュ』(パイ インターナショナル 2016) 完成までに11年(!)かかった、祖父江慎氏の作品集。


何度デザインを見せてもよい反応が得られなかったら、自分だったら諦めてしまうかも。佐藤さんがへこたれなかったのはなぜですか。

佐藤:うまくいっていないのは自分がいちばんよくわかっていたので。

それに、私には後がないという意識が強くありました。専門学校もほとんど行かずに辞めて、ほかの可能性も思いつかなかったので「これでモノにならなかったら人生終わり」くらいに思って、とにかく必死でした。

選択肢も残っていなかったですし、潰しも効かない状況で。余裕がないから脇目も振らず突き進むしかなかったです。ときどき、ブックデザイナーになるにはどうすればいいかと聞かれますが、わたしから言えることがあるとしたら、「とにかく現場で場数を経験するしかない」ということだけですね。


欲しい、買う、足りない、借りる、を繰り返した20代

ところで迷っていた時期に本を買っていたとのことですが、お金かかりますよね。資金はどうされていたんですか?

佐藤:投資のつもりで銀行から借りたりしていました。


えっ!

佐藤:会社員でしたが、新人でしたので、そんなに贅沢ができるような状況ではなかったですが、資料として必要だと思った本を値段も見ずにレジに持って行き、そこで初めて「そんなにするんだ」と気付くという……。そりゃ、お金足りなくなるわって(笑)。

本もそうですが、洋服もそうでした。洋服は今どんなものが新鮮なのかを知る指針にしていました。何年代のものがいま新鮮にみえるのか、など。自分を知る材料ということもありました。たとえ似合わなくても背伸びして買って、自分の顔や体を服に合わせていく、みたいなことをよくしていました。すべて自分への投資だと思っていました。

そんなことをしていたのは、今自分にできることはなんでもやっておかないと、あまりよい結果にならないのではないかと思っていたからです。欲しいものは可能な限り手に入れようと決めて、欲しい、買う、足りない、借りる、の繰り返し。楽しい反面、同じくらい苦しかったです、本当に。「苦あれば楽あり」と自分に言い聞かせて20代を乗り切りました。

私に限らず、20代は成長することが求められる時期なので、いちばんお金が必要だと思います。でもその時期にお金がないので、大変です。そのときは、実力もないし何者でもない自分にお金が入ってくるわけがないのは当たり前とわかっていました。でもこのまま進んでいけば、なにかしらの結果がついてくると信じてやっていました。


祖父江さんが尊重してくれた「何でもOK」というスタンス

いずれ何者かになるという自信があったんでしょうか。

佐藤:いまも何者かになれたとは思っていないのですが、直感でいまはお金がかかっても、成長するほうにかけたほうがよいと思っていました。「ほぼ日刊イトイ新聞」で読んだ吉本隆明さんの「10年間毎日ずうっとやって、もしそれでモノにならなかったら、俺の首やるよ」という言葉に励まされて、自分もとりあえず10年は続けて、その結果何にもなれなかったら諦めよう、と決めました。私は19歳から働き始めているので、29歳をタイムリミットにしていました。

私はまっとうな道を通ってきたわけではないので、ちゃんと勉強をしてきた人や堅実に経験を積み上げた人の何倍やらないと、絶対追いつけないと思っていました。だから、とにかく量をこなす、という感じでした。不安だったこともあったと思うのですが、その10年間は、あまり長い休みを取った記憶がないですね。


じゃあワークライフバランスなんて……。

佐藤:ほぼなかったですね。(笑)。


体壊しませんでした?

佐藤:もともと体力はある方だと思うのですが、ギリギリのときもありました。栄養ドリンクで無理矢理頑張ったり。今思い返すとヒヤヒヤします。まったく20代の人たちにはおすすめできない(笑)。


コズフィッシュでは、お手伝いの時期を経て正式にアシスタントになったんですね。

佐藤:はい。お手伝いをしばらく続けた後に。どうにかして、祖父江さんの技を身につけたいと思って、指示されたことは忠実にできるように、と必死についていました。しばらくすると、指示されることはできるのですが、自分自身がなにをしたいか分からなくなっていました。

そんなとき、ある先輩の仕事のしかたを見て少し考え方がかわりました。その方は私と同様にアシスタントでしたが、祖父江さんのディレクションを一度自分で咀嚼してからアイデアを出力していたんです。そして、そのデザインをとても魅力的に感じていました。祖父江さんの指示に忠実であることも大切ですが、なによりまず自分で考えないといいデザインはできないとわかってきたんです。

そんなこともあり、アシスタントとして入って2、3年目くらいだったか、祖父江さんにお願いして、少しずつ自分で考える仕事を増やしていただきました。祖父江さんはとにかく個性を尊重してくださる方で、常日頃「代えのきかないデザイナーになりなさい」とおっしゃっていました。スタッフの個性やアクの強さも全て受け入れて、「面白ければOK」というスタンスで、接してくださっていました。自分が事務所を持つようになった今、それがどんなに難しいことかわかります。



佐藤亜沙美(さとう・あさみ)
1982年、福島県生まれ。2006年から2014年、日本を代表するブックデザイナー祖父江慎氏が率いるコズフィッシュに在籍。2014年に独立し、サトウサンカイ設立。数多くの書籍を手がけるとともに、2016年より『Quick Japan』(太田出版)のアートディレクター&デザイナーも務める。

聞き手:柴﨑朋実

新潟県魚沼市出身。仕事に関するインタビュー、旅取材などをして、雑誌、新聞、webなどで原稿を書いています。関心は、旅(商店街散歩からクルーズまで)、まちづくりや地域活性化、エンターテインメント(ラジオ、テレビドラマなど)、デザイン(グラフィックからコミュニティまで)等。
Twitter:https://twitter.com/UMI_ToT_YAMA