鈴木淳也のPay Attention

第102回

ゴールドマンサックスの銀行免許取得はAppleへの福音となるか

米ニューヨークのウォール街。ニューヨーク証券取引所(NYSE)の朝(2012年撮影)

7月7日に日本経済新聞が報じた「ゴールドマン、日本で銀行免許取得 証券から多角化」というニュースが話題となった。金融庁のページでも「ゴールドマン・サックス・バンクUSA東京支店」の銀行業免許取得が告知されているが、Goldman Sachs Groupの銀行部門である「Goldman Sachs Bank」の東京支店という位置付けになる。

Goldman Sachsが事業多角化と拠点拡大を目指す理由

ゴールドマン・サックスは、約150年前にMarcus Goldman氏とSamuel Sachs氏によって設立された金融仲介業を前身としており、投資銀行の大手として知られる。

投資や証券取引、株式上場(IPO)の引き受け、資産運用などさまざまな金融サービスを提供する同社だが、企業向けの金融サービスが中心で、いわゆる預金業務のようなサービスは提供してこなかった。2016年になり創業者の名前を冠した「Marcus」のブランドで一般消費者向けのリテールバンキングの分野に進出しているが、その背景には厳しさを増す金融環境がある。

ロイターの「U.S. banks to see big jump in secon-quarter profits before results return to normal」でも触れられているが、コロナ禍においても米金融大手各社は好調な業績を出している。低金利とローン利用の低迷が収益面でマイナスに作用しているものの、株価や商品相場の乱高下が結果としてトレーディング事業の業績を大きく後押ししており、これが全体の業績に反映した形だ。

Goldman Sachsの2020年通年の事業別売上。トレーディング関連(Global Markets)が全体の半数を占めている(出典:Goldman Sachs)

一方で、このトレンドも間もなく終わりを告げるとみられており、新たな収益源の確保が求められている。それが事業の多角化だ。

Goldman Sachsは2020年6月に米国でVolante Technologiesのシステムを活用したトランザクションバンキングの事業を開始しており、2021年6月には同事業を英国に拡大している。英国事業開始のプレスリリースの中で同社は「開始1年で250以上の顧客と350億ドルの預金を獲得し、数兆ドルの処理を同システムを介して行なっている」と述べている。

トランザクションバンキングとは、財務諸表といった客観的な“ハード情報”を基に融資などの金融サービスが提供される仕組みで、事業プランや経営者の資質などの主観的で長期的な関係に基づいた“ソフト情報”で融資が行なわれるリレーションシップバンキングと対比される概念として、2008年のLehman Brothersの破綻以降に注目されるようになった。送金や決済、取引先をも対象にした融資などの企業の金融業務を一手に引き受けるサービスだが、特に多通貨を対象としたトレーディングはキャッシュ管理が複雑であり、これを専門知識をもってフォローするのがGoldman Sachsの役割となる。

最も恩恵を受けるのは複数の国にグローバルなビジネスを展開している企業であり、今回の同社の日本での銀行業免許取得も「欧米のみならず、東南アジア地域でのビジネス拡大を考えている日本企業」が主な対象となる。日本が英国に次ぐ進出先に選ばれたのは、それだけ潜在的な需要があるということだろう。

トランザクションバンキングは同社にとっての急成長分野だが、同様に力を入れているのが前述のMarcusだ。支店を持たない、いわゆる「ネット銀行」に属するもので、「預金機能(Saving)」とクレジットカード発行を含む「ローン」事業がその中心となる。

2020年通年での決算報告書によれば、2020年のリテールバンキングでの預金残高は前年から370億ドル増加して970億ドルとなっている。これは事業開始からほぼ毎年300億ドルペースで上昇しており、同事業の売上はコロナ禍のサービス利用増で前年比40%増の121億ドルに達している。

Marcusのローンの特徴はいくつかあるが、1つは一定以上のクレジットスコアを持つ利用者であれば低めの年利が設定されること、また1年間返済を滞りなく行なえば「On-Time Payment Reward」の仕組みで1カ月間返済猶予が延長されるボーナス特典が挙げられる。際だった特徴ではないものの、優良顧客を抱え込む施策といえる。

そしてリテールバンキングの分野で同社の名を一躍有名にしたのがカード発行事業だ。

2019年6月のAppleの開発者会議WWDCで発表された「Apple Card」は話題を集め、初夏の時期から一部ユーザーを対象に少しずつ発行が開始され、同年8月に全ユーザーにサービスが開放された。クレジットカードの管理をすべてスマートフォンアプリ上で行なえる洗練されたUIを持ち、「Daily Cash」と呼ばれる買い物ごとに1-3%の還元を受けられる機能を備える。Apple Storeでの買い物は常時3%に設定されているため、特に金額の大きな買い物を行なうAppleファンにとっては必須のサービスとなっている。

Apple CardはGoldman Sachsのコンシューマ事業の成功例の1つと考えられている

Appleではカードの発行枚数を公表していないものの、米国ではiPhoneユーザー比率の高さもあり、Goldman Sachsの業績を押し上げる結果に結びついたのは想像に難くない。その後も同社はカード発行事業のパートナーを増やしており、今年1月にはApple Card同様にMastercardブランドを軸にGM(General Motors)のカード事業をBarclaysから奪い取っている。同様に今年3月にはJetBlueのディール獲得も狙っている旨が報じられており、その領域を拡大しつつある。

Apple Cardは近い将来日本に来るのか

後発ではあるものの、使いやすいシステムやパートナーシップによる後押しを武器に事業領域を拡大させつつあるGoldman Sachs Bankだが、今回の日経新聞の報道で話題になった理由の1つは前述の「Apple Card」によるものだ。

同社の日本での銀行業免許の申請はすでに2019年の時点で話題となっており、「近いうちにApple Cardも日本にやってくるのでは?」と考えた方が多かったことにほかならない。Apple自身が銀行業免許を取得したり、自らイシュアになる可能性は低いため、日本でのカード事業展開では必ずどこかの会社と組む形になる。日本国内の銀行やカード会社でもいいだろうが、すでにiPhoneと連動してWalletアプリからサービスを一通り管理できる仕組みで実績のあるGoldman Sachsというのはごく自然な流れだろう。そのGoldman Sachsが日本での銀行業免許取得を考えているとなれば、皆がそれを期待するのも当然だ。

だがGoldman Sachs日本支社によれば「今回の銀行業免許取得はトランザクションバンキング提供を念頭に置いたもので、日本でのリテールバンキング参入やカード発行事業の計画はない」(同社広報)という。残念ながら、少なくともGoldman Sachsと組んでのApple Cardの日本展開はしばらくの間はなさそうだ。

当面の稼ぎ頭になると目されるトランザクションバンキングの立ち上げを優先し、後に事業の多角化の流れで、場合によってはリテールバンキング参入やカード発行事業に傾く可能性はある。ただ、日本と米国では銀行やカード事業の立ち位置が異なるため、そう簡単な話でもないと考えている。筆者も各方面で聞き取りを行なっているが、Apple Cardの日本展開に関する動きはまだ察知できておらず、もうしばらくの時間を要すると予想する。

日本におけるApple Card展開の難しさの1つは、その事業構造にある。米国のクレジットカードには、常時1%還元、特定の提携ストアでの買い物で2-3%の即時還元が行なわれる「Cash Rewards」という仕組みを採用するものが増えている。新規契約でボーナスのキャッシュ還元、あとは利用ごとに還元ということで、カード利用を積極的に促し、提携ストアへの送客の役割を担っている。Apple CardのDaily Cashもこの仕組みに則ったのものだが、こうした柔軟な還元が可能なのも「カード支払いの弁済金による手数料収入」がカード会社(米国の場合は銀行)の主な収益源になっているからだ。

以前に手数料に関するレポートで触れたが、日本のクレジットカード事業は加盟店からの手数料収入と年会費頼みとなっており、米国ほどの柔軟性がない。三井住友カードの「プラチナプリファード」のようにCash Rewardsに近い仕組みを実装しているサービスもあるものの、あくまでポイント還元であり、純粋に同じ仕組みではない。AppleとしてはApple Cardの日本展開にあたって米国と同じ商品性を提供したいと考えるわけで、この事業構造の違いを日本参入でのパートナー企業がいかに乗り越えるのかに非常に注目している。

ポイント還元に特価した三井住友カードの「プラチナプリファード」
「プラチナプリファード」の券面を抱えて挨拶する三井住友カード代表取締役社長の大西幸彦氏

米国IT企業の日本の金融市場参入が続く

Appleが2016年の「Apple Pay」の日本市場投入で「スマートフォンとクレジットカード」というモバイル決済の世界を大きく変化させたように、その第2波とも呼べる動きが再び日本の金融業界に到来しようとしている。

Apple Payの日本参入効果は「クレジットカードの即時発行の仕組み」「iD、QUICPayのさらなる普及と非接触決済の導入意向の向上」「Suicaサービスの市場拡大」「キャリア決済に次ぐモバイル端末でのオンライン決済の新しい仕組み」といった部分にあり、特に「クレジットカードの即時発行」は日本のカード会社に大きなインパクトを与え、審査も含めて数分でスマートフォン上だけで使えるクレジットカードを発行できるサービスが複数登場するきっかけを作った。Apple Payは確実に日本におけるクレジットカードの利便性を高めた。

おそらくだが、次の波は「送金サービス」に鍵があると考える。

日経新聞の7月8日の報道によれば、Googleは送金サービス「pring」を買収して日本国内での「送金」事業に参入する意向だという。pringならびに親会社のメタップスでは「決定事項ではなく、コメントはできない」という回答だが、Googleが日本国内での送金サービスに興味を示しているというのは非常に興味深い。

以前にもTwitterの「Tip Jar」サービスでこの話題に触れたが、個人間送金サービスが拡充されつつある米国に対して、日本でのサービスは数こそ揃いつつあるものの利用が進んでいるとは言い難い。理由の1つは「サービスをまたいだ送金の難しさ」にあり、例えばワリカン機能1つ使うにも基本的には全員が同じサービス上にいる必要がある。水面下では全銀システムが資金移動業者のようなノンバンクにも接続を開放したり、メガバンク主導で小口の送金や決済を可能にする「ことら」というJ-Debitをベースにしたプラットフォーム構想が持ち上がっているが、次なる舞台としての「個人間送金」「BtoCでの小口送金」というテーマが整いつつある。

メガバンクが推進する小口決済・送金プラットフォーム「ことら」

キャッシュレス化を推進するうえで避けて通れないテーマだが、クレジットカード業界がApple Pay到来まで変われなかったように、送金分野もまた海外勢到来までに変化を起こせるのかのせめぎ合いになりつつある。

仮にGoogleがpringのプラットフォームで送金の仕組みをAndroidからiOSまで広く使えるように拡大した場合、これまで以上にモバイル端末を介した送金が利用されることになるだろう。

Appleも「Apple Cash(旧Apple Pay Cash)」という仕組みを持つが、米国でサービスの仕組みを提供していたGreen Dotのような事業者が必要であり、いまだ米国外にサービスを展開するに至っていない。前述のApple Cardもそうだが、やはり金融機能としての「送金」は重要であり、Appleは2つのサービスを日本に展開できるパートナーの存在を必要としている。その答えがGoldman Sachs Bankになるかどうかは、いましばらくの時間が必要だ。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)